週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

久保平賀古墳 松戸市小金きよしヶ丘

藤花塚公園の一画に保存されている久保平賀古墳。教育委員会の標柱が立つ。文献[1]では、「円墳、径16.5m、遺存度◯」

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久保平賀古墳

墳頂部は後世の攪乱によって変形が著しい。昭和初期に東大で発掘調査を行なつたが明確な内部主体は見られず、わずかに土師器片が出土したに過ぎなかつたという。

平成11年3月 松戸市教育委員会

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玉屋(小金宿の旅籠)
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鈴木家

此処の街道は水戸街道で有名であるが、成田街道でもあり旅籠が多く鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉家の屋号で徳川時代後期の旅籠の原形を留めている。

当時の小金では鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊、が役職に従事していたが、未だ姓は現存している。

松戸北ロータリークラブ

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玉屋(小金宿の旅篭)

この小金の地は江戸時代より水戸街道の宿 道の宿場町として栄えていました。この建物は屋号を玉屋という旅篭で当時の宿場町の名残を伝えています。

昭和52年2月22日 松戸市教育委員会

文献

[1] 千葉県教育委員会 1990年「千葉県所在古墳詳細分布調査報告書」

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