坂戸市文化会館“ふれあ”で開催された第26回 坂戸市埋蔵文化財出土品展「大古墳展―越辺川中流域の古墳文化」を鑑賞した。今年度の出土品展は、「大古墳展」として市内で出土した古墳時代の優品を一同に展示。県内初となる武具のセットや、全国初となる円形文様が刻まれた大刀、蛇行剣など豊富な副葬品が出土した「入西石塚古墳出土品」は全点そろえて初公開。会期は7月19日〜7月25日の7日間で、22日と23日に学芸員によるギャラリートークがあり、2回目の23日のギャラリートークに参加した。参加者は、約20名の想定に対して約50名と盛況。解説された学芸員は土器が専門とのことで、この地域の遺跡の移り変わりと出土する土器等の特徴について解説していただいた。
第26回坂戸市埋蔵文化財出土品展「大古墳展」開催 - 坂戸市ホームページ
【展覧会情報😃】
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2023年6月16日
埼玉県 坂戸市文化会館「ふれあ」
第26回埋蔵文化財出土品展
「大古墳展―越辺川中流域の古墳文化」
文化会館でしたら、土・日、祝日でも観覧できるのですね🤔😉
👇🏻市HP>歴史民俗資料館>坂戸市立歴史民俗資料館だより第5号の刊行https://t.co/dulZKxB3Ky pic.twitter.com/Jd2VNCGvfA
「大古墳展−越辺川中流域の古墳文化−」坂戸市文化会館ふれあ。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年6月16日
初公開「入西石塚古墳出土品」一式。
正式な発表がありました。
この方がかっこいいですね。
銅鏡。
横剥板鋲留短甲。
蛇行剣。
これだけのフル装備の武人はあまり武蔵ではいない。
この展示を実はずっと待っていた。 https://t.co/wuuRSCBu9j pic.twitter.com/YBUvPayrBZ
今年の夏、文化会館に古墳時代のお宝が大集合!埴輪も勾玉も鏡も武器も…なんでもそろう大古墳展を開催します!
— 坂戸市 (@sakado_kouh) 2023年6月19日
第26回坂戸市埋蔵文化財出土品展「大古墳展~越辺川中流域の古墳文化~」
7月19日~25日 10時~17時
坂戸市文化会館ふれあ
入場無料#坂戸市 #古墳 #埴輪 #イベント #出土品展 pic.twitter.com/5YfGCU7ZlE
第26回坂戸市埋蔵文化財出土品展「大古墳展~越辺川中流域の古墳文化~」坂戸市文化会館ふれあ。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年7月22日
入西石塚古墳出土品。
縦剥板鋲留短甲、冑、頸甲、肩甲。
蛇行剣、鉄鏃、倭鏡2面。
地主が掘ってビニール袋に入れて再埋納50年後に再発掘、全て公開は初めて。
中期後半の畿内王権とのつながりを示す。 pic.twitter.com/s0kWfOfm3U
中期後半から古墳群が築造を開始する。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年7月22日
初期群集墳が台地上に造られ低地に集落が進出していく。
展示も古墳出土の円筒埴輪を並べて迫力がある。
形象埴輪も5世紀後半から6世紀に入ると激増する。
そういった出土品も破片も含めて展示していて楽しい。
肩が上がるのは6世紀後半の人物埴輪。 pic.twitter.com/XEs5ovznIx
7世紀になっても切石積横穴式石室を持つ大河原2号墳なども築造される。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年7月22日
長頸壺からフラスコ瓶へと副葬品も変化する。
最新出土品展では弥生時代の西浦遺跡も発掘されている。
平安時代の集落も多い。
珍しいのは握り鋏。
どうした人が使ったのかな?
期間が短いが撮影も🉑なのでぜひ! pic.twitter.com/nx2rPRJ0Cw
大古墳展を観に、ほぼ一年振りで坂戸に行って来ました。同心円文の大刀。柄ではなくて刀身に文様を刻むのは結構珍しいかな。 https://t.co/QEROyiH3uP pic.twitter.com/156K9Gobi2
— shigesoul (@BackInMusashi) 2023年7月22日
今日は休み取って平日だけ開館の東松山市埋蔵文化財センターにやっと行けました。期待通り見所多い展示で1時間半くらい堪能。古墳時代の始まりがマイブームなので、埼玉では当にここって感じでした。ところで蛇行剣は東日本で3例しかないと。坂戸の大古墳展と合わせて2つ続けてみちゃった。 pic.twitter.com/3bfy53mKOk
— shigesoul (@BackInMusashi) 2023年7月27日
坂戸市の大古墳展では「埼玉県で2例、栃木県と千葉県で各1例」と説明されていて、栃木県は東松山市埋蔵文化財センターの説明で桑57号墳、千葉県は下記の酒々井町の飯積上台1号墳?https://t.co/4dYE9qko1U
— ぶじん(かんれき) (@kufunmeguri9) 2023年7月28日
入西石塚古墳の出土品は2021年に埼玉県立さきたま史跡の博物館の企画展でも鑑賞した。
塚の越1号墳出土の人物埴輪2体(盾持人と盛装の男子)は、見覚えあると思ったら、ほるたま展2022「はにわ 埴輪男子」(埼玉県立さきたま史跡の博物館)と、プレ公開(埼玉県文化財収蔵施設)でお会いしていた。
坂戸宿
坂戸宿(さかとじゅく)
「坂戸の宿はさかさ宿」と伝わるように、坂戸小学校前の交差点付近(下)から、坂戸神社方向(上)へと発展してきました。元町(四丁目)、仲町(三丁目)、本町(二丁目)の順に整えられ、一丁目(本町)に宿並みが整備されたのは、江戸時代になってからです。
坂戸宿の開設は、天正十二年(1584)に河越城代大道寺駿河守政繁が主君・小田原北条氏の命を受け、元坂戸(北坂戸)から、農家三十九軒を移して、新しく集落を整備したのが始まりといわれています。
坂戸宿を通過する街道は、八王子・高萩から坂戸を経て、高坂・松山・吹上・忍・館林に通じる当時の幹線道路で、江戸時代になると徳川幕府によって、「日光脇往還」として整備され、関東郡代配下の「八王子千人同心」が、日光東照宮の火の番(警備)のために往来した道で、八王子を出発して最初の宿泊地でした。しかし、当時は旅館も無く、隊員達は、周辺の農家に分宿したと伝えられ、享保八年(1723)になって、現在の日の出町交差点角に旅籠「角屋」が開業すると、同心隊の役付隊員のみが角屋に泊り、平隊員五十人近くは、依然周辺の農家に分宿したといいます。
江戸時代の坂戸宿は半農半商の宿場で、この通りにおいて、三・八日に開かれた坂戸の市は、他の地域の日とずれていたため、広い範囲から生産・生活物資が持ち込まれていました。後に店売りが 始まり、市日以外の商売が定着して、宿通りは発展しました。
道標(みちしるべ)
道しるべ
道しるべは、街道の三叉路や十字路の角に建てられ、他国から来た旅人が道に迷わないよう表示してあります。ここに残る道しるべ は、坂戸宿四丁目の皆さんが、旅人の安全を願って建てたもので、この道筋が、江戸時代の承応元年(1652)に日光脇往還に定めら往来する旅人が増えたためと考えられます。
道しるべは、坂戸市内に現存する最古のもので、角柱四面に「右よしミみち、左日光道、松山道、願主講中、坂戸町中四丁目、宝暦十庚辰六月吉日」と刻まれています。
「右よしみ道」とあるのは、右の道をたどると坂東三十三観音のうち十一番目の札所「安楽寺吉見観音」があり、札所めぐりの盛んであった当時としては、観音霊場めぐりに往来する人たちが多く、坂戸宿を外れた三叉路で、右か左か思案する姿が見られたためと想像できます。
また、「左日光道」とあるのは、当時、八王子千人同心が日光東照宮の火の番(警備にあたるため、八王子から日光への往来に使った道筋にあたったためで、今日まで多くの人々の往来を見守ってきました。
坂戸小学校の校章に勾玉