お化け煙突の愛称で親しまれていた千住火力発電所の4本の煙突。高さ80mあまり。1926年(大正15年)の発電所の運転開始時に3本の煙突を建設、翌年に1本増設した。見る角度により煙突の本数が4本から1本に変化することから「お化け煙突」と呼ばれた。1963年(昭和38年)に発電所は稼働を停止。翌年、煙突は解体された。発電所の跡地は、現在は帝京科学大学千住キャンパスとなり、その一角にモニュメントが設置されている。
解体された煙突の一部は足立区立元宿小学校で滑り台として利用されていた。元宿小学校が統合・閉鎖された後、滑り台として利用されていた煙突の一部は、モニュメントとして帝京科学大学千住キャンパスの敷地内に保存された。
本日11月11日は #煙突の日 !足立区で煙突といえば…「おばけ煙突」ですね。おばけ煙突とは、かつての千住火力発電所に建てられていた4本煙突のこと。煙突はおよそ60年前に解体されましたが、今でも多くの方の思い出として残っています。(郷土博物館)https://t.co/qTWtihgUiV pic.twitter.com/eeYjZ23yZk
— 足立区役所 (@adachi_city) 2020年11月11日
尾竹橋ワンド(湾処)。貯木場の跡地に住民の要望で実現した憩いの場。
かつて、昭和の高度成長期に、隅田川沿いには水運を利用した工場が集積していて、様々な煙突が林立していた。NHKの『みんなのうた』で放映された『僕らの町は川っぷち』が、当時の風景を表現していた。この歌は、大田区で結成された西六郷少年少女合唱団の団歌で、もともとは多摩川沿いの町を歌ったもの。これらの工場群は1969年に制定された東京都公害防止条例に代表される都の政策により、撤退(移転)が進み、跡地は公園や団地、マンションなどになり、町の姿も変貌した。