週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

オリンピック記念マンホール蓋 日比谷公園

日比谷公園の外周の歩道に設置されたオリンピック記念マンホール蓋。日本の都市公園100選

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桜が咲いていた。東京は14日に観測史上最も早い開花宣言
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日比谷見附跡と心字池
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烏帽子岩
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日比谷公会堂 (東京都選定歴史的建造物)
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日比谷公園事務所
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幕末までは松平肥前守等の屋敷地で、明治初期には陸軍練兵場となっていたところでした。当初から近代的な「都市公園」として計画・設計・造成された本格的な公園であると同時に、日本初の「洋式庭園」として明治36年(1903年)6月1日に開園しました。(開園面積:161,636m2) 文化の先駆者として公園設計者(本多静六等)の意気込みが随所に感じられます。そして、それは今日に伝えられ、広く利用されています。今日に至るまでに、関東大震災や太平洋戦争により改修等をおこなってきましたが、心字池・第一花壇や雲形池周辺は開園当時の面影がそのまま残っています。花壇には一年中、色鮮やかな四季の花が咲き、公園を訪れる人々の憩いの場になっています。

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新橋駅SL広場
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東京2020大会仕様のデザインマンホール蓋を設置|東京都

東京2020大会仕様デザインマンホール蓋|東京都下水道局

東京2020大会仕様のデザインマンホールの設置場所について|東京都下水道局

 

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