週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

日下ヶ塚古墳(常陸鏡塚) 大洗町磯浜町

日下ヶ塚(ひさげつか)古墳は、4世紀後半に築造された全長約101.4mの前方後円墳。1949年(昭和24年)の後円部墳頂の発掘調査により、粘土槨(ねんどかく)1基を検出。人骨と共に、鏡2面、石製模造品53点、玉類、鉄製品22点などの約4100点以上の副葬品が発見された。2012年(平成24年)に測量・範囲確認調査を行い、二段築成の前方部や周溝が確認されると共に、墳丘にめぐらせた極長胴化した壼形埴輪が出土した。1956年(昭和31年)の報告書で常陸鏡塚(ひたちかがみつか)の名称が使用された。

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磯浜海防陣屋跡(おでぃば山)の土壇状の遺構の上から前方部を眺める。この土壇は前方部の墳丘を削って築いたもの。
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右手前が前方部、左奥が後円部
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西から前方部
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東から左が前方部、右が後円部
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前方部の墳頂
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前方部墳頂から鹿島灘を一望
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前方部墳頂から後円部
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くびれ部の墳丘上から前方部
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くびれ部の墳丘上から後円部
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後円部の墳頂、「史跡 日下ヶ塚」の碑
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磯浜海防陣屋跡(おでぃば山)。江戸時代天保年間に水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)が造らせた海防目的の施設。
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磯浜海防陣屋跡(おでぃば山)の土塁の上から大洗町鹿島灘を一望
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消火栓のマンホール蓋
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磯浜古墳群 – 茨城県教育委員会

日下ヶ塚古墳(ひさげつかこふん) | 大洗観光協会公式ホームページ

大洗町 日下ヶ塚(常陸鏡塚)古墳の範囲確認調査の実施について

大洗町 磯浜古墳群の国指定について

磯浜海防陣屋跡(いそはまかいぼうじんやあと) | 大洗観光協会公式ホームページ

大洗町 磯浜古墳群の国指定について

文献

[1] 栃木県立なす風土記の丘資料館 1993『前方後方墳の世界 - 前方後方墳の成立と展開 -』

[2] 國學院大学日本文化研究所 2004「III.常陸鏡塚古墳編」『國學院大學学術フロンティア構想 大場磐雄博士資料目録I 』

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