週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基

企画展・シンポジウム「常陸鏡塚」大洗町立旧大貫小学校・大洗文化センター

大洗町立旧大貫小学校で土日の10日限定で開催された企画展「常陸鏡塚」の関連イベントとして12月15日に開催されたシンポジウム「常陸鏡塚」を聴講した。3件の講演と講演者をパネラーとした討論会が行われた。

常陸鏡塚(ひたちかがみつか)は古墳時代前期後半の前方後円墳。全長の復元値は約101.4m。地元では日下ヶ塚(ひさげつか)と呼ばれていた。1949年(昭和24年)に國學院大学の大場磐雄博士が後円部墳頂の埋葬施設を発掘調査。南端が削られていたがそれ以外は未盗掘で、4,000点を超える副葬品を発見。発掘から70周年の今年11月に日下ヶ塚(常陸鏡塚)古墳は、車塚古墳や姫塚古墳と共に磯浜古墳群として国の史跡指定の答申を受けた。

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講演者をパネラー、田中祐・茨城大学教授の司会によるシンポジウム「常陸鏡塚」

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印象に残ったことを書くと、磯浜古墳群は、3世紀中頃に築造された前方後方墳の姫塚古墳(全長30m)に始まり、前方後円墳の坊主山(ぼちゃのやま)古墳(全長約63m)、日下ヶ塚古墳(全長約101.4m)と続き、円墳の車塚古墳(径約88m、4世紀代の築造)で終わる。規模はどんどん大きくなり大型円墳で終わる。磯浜古墳群は正面に太平洋、背後に涸沼川と交通の要衝に立地する。現代でも、太平洋沿岸から北海道へのフェリーが大洗を起点とするのは、大洗より南は銚子沖や房総半島沖など航海に適さない難所だが、大洗より北は航海可能なため。古墳時代も現代と変わらず。大洗より南は河川や湖沼を利用した水路、北へは外洋を航海できた。また、日下ヶ塚古墳の築造された4世紀は交通手段が舟から馬に変わる転換点。あと、田中教授が若き頃のエピソードとして京大の研究者も茨城県といえば常陸鏡塚と主張され、常陸鏡塚を知らねば、この業界では「もぐり」になるとのお話。お恥ずかしながら、私は、ここに来るまでその認識がなかった。虎塚や三昧塚、舟塚山が茨城県を代表する古墳かと思っていた。反省。ただ、金鈴塚古墳とか常陸鏡塚とか出土品を名前につけるのはどうかなぁと思う。地元では日下ヶ塚の方が通りが良いようだ。

この日は、企画展「常陸鏡塚」の最終日で、開館時間は午後6時まで延長。シンポジウムの後で、企画展を見学した。

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常陸鏡塚(日下ヶ塚古墳)の後円部の粘土槨を78%スケールで再現。写真をスチレンボードに貼った模造の副葬品に混ざって、本物の出土品が置かれている。最初はパネル展示だけかと思って帰ろうとしたが、本物が展示されているよと聞いて引き返した。これは気付かなかった。難易度高い。

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国の史跡指定を機に恒久的なガイダンス施設の整備が望まれる。

Twitter見たら多くの方が今回のイベントに参加されていた。

シンポジウムの会場入口でオヤコフンさんと間違えられた話

大洗町といえば「あんこう」だと思っていたら「ガルパン」だった。

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大洗町では懐かしい丸型の郵便ポストがまだ現役だった。

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深澤准教授の特別講演の話の掴みに登場したガルパンの主人公の西住みほの声優を務めた渕上舞さんと同姓同名の渕上舞さん (これは講演を聴講した人しかわからない、聴講した人でもわからなかったかも)

文献

[1] 大洗町教育委員会 2018 「太平洋を見下ろす大洗の王墓 講演会発表資料集」

[2] 大洗町教育委員会 2019 「常陸鏡塚 シンポジウム発表資料集」

趣味の案件 大洗町第3回埋蔵文化財企画展「常陸鏡塚」

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