北区豊島の紀州神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある紀伊国一之宮 伊太祁曽(いたきそ)神社を勧請したのがはじまりで水の神様として知られている。五十猛命(いそたけるのみこと)、大弥津姫命(おおやつひめのみこと)、柧津姫命(つまつひめのみこと)を祀る。
下記のサイトに記載の御由緒では王子権現(王子神社)の境内に勧請された後に王子村と豊島村の水争いで豊島村に遷されたとする。
紀州神社の前の紀州通りには、1926年(大正15年)に関東酸曹の専用鉄道の須賀線が開通、翌年(昭和2年)に沿線に陸軍造兵廠豊島貯弾場が設置されたことにより須賀線は鉄道省(国有鉄道)の線路となった。1971年(昭和46年)に須賀線が廃止されるまで、蓄電池の電力で走行する蓄電池機関車(EB10型)が貨物列車を牽引した。EB10型は東京都府中市の交通遊園に1号機が保存されている。
関東酸曹については「北区の鍰煉瓦巡り(1)」で述べた。紀州神社付近にのこる鍰煉瓦は、須賀線との関連が考えられる。
須賀線は北王子線から分岐していた。
陸軍造兵廠豊島貯弾場と東京第二陸軍造兵廠王子工場(板橋火薬製造所王子工場)との関係がよく整理できていないが、「陸軍」の文字が刻まれ標石(境界石)が残る。
オユ10の後に訪問した府中交通遊園のEB10 1号機。
— ゴハチハンター (@VBIwurvRZ1hPRYx) 2019年9月3日
昨年、再塗装と整備が行われましたが、ライトレンズ、尾灯やガラスは失われたままです。
完全に整備して頂きたい所ですが、納税者でも無いので私には何も言えません… pic.twitter.com/TOSLSHHp2P
緊急事態宣言の解除を受け、古墳巡りの再開を検討中。東京アラート発動中。