週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

小林八束1遺跡(第7次) 現地説明会(11/17) 久喜市菖蒲町新堀

小林八束(おばやしはっそく)1遺跡は、久喜市の南西部、菖蒲総合支所の南側に位置し、大宮台地と加須低地が接する地域に立地。小林調節池の改修工事に伴う発掘調査を2007年(第1次)から行なっている。今回の調査(第7次)では縄文時代後期(約4,000年前)の谷と古墳時代前期(約1,700年前)のムラ、古代以降(約1,300年前〜)の炭焼窯が見つかった。

ブルーシートで囲われた範囲が今回の調査範囲。中央の見学者が集まっている場所が縄文時代の谷。谷の右が古墳時代のムラがある台地。写真の右外側に調節池がある。左の奥の建物が菖蒲総合支所。
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遺跡の範囲と調査範囲。
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縄文時代の谷。
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方形周溝墓の立札があったが、説明はなく、スルーされてしまった。
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縄文時代の縦穴住居跡。立札に書かれた文字は左から壺、炉、高坏、壁周溝、器台。
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こちらも古墳時代の住居跡。
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古代以降の炭焼窯。隣に古墳時代の住居跡があるが時代は400年ほど差がある。鉄の生産に炭が使われていた。
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炭焼窯の炭化室(炭を焼く部屋)と煙道部。
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縄文時代の谷。手前の大木は谷の水流を堰き止める目的で設置された。GとHの札の位置に杭が打たれている。大木の奥に第3木組遺構。木の実のアクを晒す、もしくはふやかす目的で使用された。ドングリにはタンニンが含まれ、そのままでは食べられないが、タンニンは水溶性なので1週間以上水に晒せばアクが抜けるそうだ。
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第2木組遺構と板敷部。板敷部で縄文人が作業をしていたと想定される。
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第4号木組遺構。
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小林調節池。
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現地では小林八束1遺跡から出土した縄文土器土偶古墳時代の土師器などを見学した。また、先月、ららぽーと富士見で開催された「ほるたま展」(10/26〜10/29)で、小林八束1遺跡で出土したユーモラスな土偶たちを見学したので、今回の現地説明会は楽しみだった。
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翌年のほるたま展でも展示あり。

文献

[1] 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2008 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書356:小林八束1/小林八束2』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団

[2] 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2018 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書442:小林八束1遺跡Ⅱ』公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団

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