週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

中田横穴墓 いわき市平沼ノ内

中田横穴墓(なかだよこあなぼ)は県道15号線(小名浜四倉線)新設工事中に発見。1969年1月に発掘調査が行われ、発見された6基の横穴墓のうちの1基の1号墳に装飾壁画が確認された。1号墳の装飾壁画は震災以降、公開が中止されていたが、2016年に再開して今年は10月13日に公開日が設定された。泉崎横穴に比べ、中田横穴は見学者が途切れなく続々と集まり、地域の歴史に対する熱い思いが感じられた。

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横穴墓群があった崖面。1号墳を除いて塞がれている。
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1号墳。複室を有する特殊な構造で、横穴内部の奥壁に、赤と白の顔料により三角文様が三段にわたって描かれている。横穴が大きい。一度に何人も見学できる。
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鋸歯文(きょしもん)。上段は下向き、下の2段は上向きの赤いベンガラ(酸化第二鉄)で描かれた三角。最高級のベンガラが使用されている。白は白粘土。
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1300点の副葬品が出土した。金銅製馬鈴は日本最大。千葉県木更津市の金鈴塚古墳から出土した金鈴は小ちゃかった。副葬品の量と質、装飾壁画から、被葬者は大和王権と繋がるだけでなく、かなりの立場だったと推定されると解説員は説明した。地元住民向けに話を盛ってる? 玄室の中心軸がずれているのは、ノジュール(団塊)を避けたため。
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東北地方南部の双葉町の清戸迫横穴、相馬市の羽山横穴、泉崎村の泉崎横穴に装飾壁画がある。当時はこの地域は常陸国(ひたちのくに)で大熊あたりより向こうが蝦夷(えみし)で、装飾壁画は大和の勢力圏の境にある。九州でも熊襲との境に装飾古墳がある。

中田横穴墓の近くの薄磯海岸の北、崖の中腹に分布する餓鬼堂横穴墓群でも、天井や壁面に彩色や線刻が施された横穴墓が複数確認されている。これらの横穴墓は調査後埋め戻されて擁壁で覆われている。中田横穴墓に比べ高い位置にある。震災ではこの辺りは津波の被害を受けた。津波の被害を避けるために高い位置に造ったのか。
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国指定史跡「中田横穴」の一般公開について | いわき市役所

いわき市では震災の影響を強く感じました。定型的ではありますが、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

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