梵天山古墳群で墳活の続き。
島の百穴(島横穴墓群)
島の百穴(ひゃくけつ)
昭和二十八年七月九日 県指定
百穴は、古墳時代後期(西暦600年〜700年頃)に岩の崖面に横穴を掘り込んで造られた横穴墓 で、横穴古墳ともいわれる。
横穴は後期古墳にみ横穴式石室をまね、玄室(墓室)、羨道(せんどう)、羨門(せんもん)からなる。玄室の平面は長方形や台形で、断面はカマボコ型、ドーム型、屋根型、台形等があり、中には棺座を設けたものもある。通常は羨門を石等で閉鎖しておき、家族墓として使用された。百穴は江戸時代にはすでに知られ、「水府志料」によると昔は40〜50基くらいあたとされ、 居住性のよいことから穴居跡とみられていた。現住は60数基が確認され、梵天山古墳を主墳とする一大古墳群の一部をなしている。
常陸太田市育委員会
大きな1基の中に入ってみた
島横穴墓群【茨城県常陸太田市】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2025年3月1日
梵天山古墳群の存在する独立丘陵南斜面に存在する66基からなる横穴墓群。江戸時代の古文献にも記載があり「島の百穴」として知られていました。
横穴がズラッと並んでおり見応え抜群です。中でも15号墓は卓越した完成度の高さ。天井に残る梁状の線刻は後世のものかな? pic.twitter.com/XLTTd3tKEK