今年春に生出塚遺跡の解説板のある東裏一号公園と生出塚遺跡から出土した埴輪を展示する鴻巣市文化センター(クレアこうのす)を訪れた。
元荒川の沖積地(水田地帯)を東に臨む標高約19mの台地上に、100基を越す元荒川流域最大の古墳群、新屋敷・生出塚古墳群があった。残念ながら墳丘が現存する古墳はない。
今回は生出塚神社を訪れた。
2005年の生出塚神社改築記念碑では、生出塚の地名の由来として、定かでないが、日本書紀に記述のある「武蔵国造の乱」で武蔵国造の笠原直使主(かさはらのあたい おみ、おぬし)と争い敗れた同族の小杵(おき・おぎ)を葬った古墳がこの地にあり、小杵塚(おきねづか)と称していたのが「おいでづか」になったという説を紹介する。また、その小杵塚の跡地に生出塚神社を祀ったとする説(物語?)を紹介する。