週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

飯塚・招木古墳群(89・92・93・94・102号墳). 秩父市寺尾

和銅黒谷駅前の有料駐車場(1日310円)に車を停めて、飯塚・招木古墳群を探索した。

和銅黒谷駅
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宝登山(497m)
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武甲山(1304m)
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飯塚・招木古墳群
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埼玉県指定史跡 飯塚・招木古墳群 秩父市大字寺尾 昭和五十一年三月三十日指定

 荒川と尾田蒔丘陵の河岸段丘上にあり、南北約1300メートル、東西約400メートルの範囲に存在している。確認されている古墳は122基であるが更に増加する可能性もある。

 古墳の形態は、円墳が主体であるが、方墳が存在する可能性も残している。墳丘の大きさは、現状の直径5〜27メートル、高さ14メートルぐらいで、大小に差があり、大型の古墳の周囲に小古墳が集在するという分布形態をとっている。内部主体は、河原石や片岩類の板石で築かれた横穴式石室である。本古墳群の築造年代は、七世紀から八世紀初めのものと考えられるが、群集墳としての形をこれほどよく残している古墳群は、県内ではめずらしく、秩父地方の古墳文化解明にとっても欠くことのできない貴重な存在である。

昭和五十四年三月一日 埼玉県教育委員会 秩父市教育委員会

飯塚・招木89号墳(移設復元) 文献[3]では「円墳、径12.3m、消滅」
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回り込めば、横穴式石室が開口していたそうだが、残雪に気を取られ、気づかず。

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古墳復元について

復元古墳名 飯塚招木古墳群89号墳

古墳原位置 秩父市大字寺尾三四五番地 復元現地の北約300米市道

復元施行  昭和56年12月8日〜同57年3月30日

一、発掘復元の事情

 招木地区は国道への連絡がきわめて不便で、この地に道路を敷設することは地区発展にきわめて重要でした。 しかし、たまたま古墳群所在地のため発掘調査を必要としたものです。

 発掘調査に当り文化財保護と鎮魂の立場より後日復元の希望があり、今回実現をみたものであります。

二、復元古墳の規模・構造

 復元された88号墳は市道道路敷にあった七基中の一基で、長・短径約11米、高1.7米、玄室長2.6米、羨道長2.4米、石材は羨道部は俗称真石(まいし)、玄室部は砂岩質の平石を用い持送り式、棺床礫を床にしき、閉塞施設は真石を積み上げています。

三、出土品

 人骨片・土師・須恵器庁・蔵骨・鉄・刀子等僅かであります。

四、仕様

 復元は原形を目標とし、破壊部分は推定復元を行なった。この復元古墳によりこの地の古墳の 形態構造の大体を把握することが出来ます。この地の古墳は七世紀末から八世紀初頭の営造と推定されます。

昭和五十七年三月三十日 秩父市教育委員会

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飯塚・招木102号墳? 文献[3]では「円墳、径9.4m、横穴式石室、消滅」
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他にもポコポコ墳丘らしき高まりがある。飯塚・招木92・93・94号墳?
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飯塚・招木古墳群/秩父市

文献

[1] 飯塚招木古墳発掘調査会 1982 『飯塚・招木古墳群発掘調査報告書』埼玉県秩父市教育委員会

[2] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」

[3] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」

[4] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」

[5] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会

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