昨春に夜桜を見学した音無親水公園を再訪。日本の都市公園100選。
音無橋
音無親水公園
音無川のこのあたりは、古くから名所として知られていました。江戸時代の天保七年に完成した「江戸名所絵図」や、嘉永五年の近吾堂坂江戸切絵図、また、安藤広重による錦絵など多くの資料に弁天の滝、不動の滝、石堰から落ちる王子の大滝などが見られ、広く親しまれていたことがわかります。
「江戸名所花歴」「遊歴雑記」などには、一歩ごとにながめがかわり、投網や釣りもできれば泳ぐこともできる、夕焼けがひときわ見事で川の水でたてた茶はおいしいと書かれており、江戸幕府による地誌、「新編武蔵風土記稿」には、このあたりの高台からの眺めについて、飛鳥山が手にとるように見え、眼の下には音無川が勢いよく流れ、石堰にあたる水の音が響き、谷間の樹木は見事で、実にすぐれていると記されています。
こうして恵まれた自然条件をいまに再生し、後世に伝えることを願って、昭和六十三年、北区は、この音無親水公園を整備しました。
昭和六十三年三月 東京都北区
「日本の都市公園100選」は、公園緑地に対する愛護精神を喚起するため、全国から募集した都市公園の中から、勝れた景観、独創的なデザイン、個性的な施設などを総合的に判断して選定したもので、全国の都市公園の規範となるものです。
都内では、音無親水公園のほかに、国営昭和記念公園、日比谷公園、上野公園、水元公園、代々木公園が選ばれています。
平成二年五月二十三日
音無橋の名の由来は、架橋されている石神井川に求められる。石神井川は多摩地方から東流し、北区において隅田川と合流するが、王子権現付近より以東の路線はかつて瀧野川あるいは、音無川と呼ばれていた。音無川の名は、紀州熊野権現本宮の近くにある音無川に因んだものである。
本橋は、昭和5年の架橋以来、周辺の交通の便を確保するとともに、地域の発展の要として機能している。
ノエル・ヌエット"Tokyo; fifty sketches"より1934年の石神井川音無橋(1931年竣工)と王子石堰。橋の3連アーチの左側を下郷用水が、中央を石神井川が、右側を上郷用水が潜っていた。今は埋立・暗渠となった上郷用水がしっかり描かれているのが貴重。手前の橋は舟串橋。#石神井川 #暗渠 ではない pic.twitter.com/uIugBHEHoj
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