飯野陣屋は江戸時代飯野藩の藩主保科家とその家臣たちの屋敷。慶安元年(1648年)から廃藩置県の明治4年(1871年)まで存続した。日本三陣屋の一つ。
内裏塚古墳群の三条塚古墳は、飯野陣屋内に位置する6世紀末葉の前方後円墳。全長122m。周溝長193mの二重周溝がめぐる。西側の外周溝は飯野陣屋の周濠に再利用されている。
飯野神社
三条塚古墳の後円部の進入路
後円部とくびれ部の南東側が大きく削られている。飯野藩藩校の明新館の跡。
後円部の東側の墳丘の中腹に露出する横穴式石室の天井石。この石の手前側3.5mの部分は、平成元年に調査された。奥側5mは天井石の確認のみ。
後円部の墳頂
後円部の墳頂からくびれ部
前方部の墳頂
北東から後円部
飯野陣屋と三条塚古墳の位置と航空写真と石室の写真
文献
[1] 房総の古墳を歩く編集委員会 2006『房総の古墳を歩く 改訂版』芝山町立芝山古墳・はにわ博物館友の会