週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

「今蘇る!琵琶湖に君臨した王 雪野山古墳」明治大学博物館

10月4日から明治大学博物館で開催中の雪野山古墳発掘30周年記念展示「今蘇る!琵琶湖に君臨した王 雪野山古墳」を鑑賞した。

f:id:kofunmeguri:20191004174436j:image
f:id:kofunmeguri:20191004174447j:image
f:id:kofunmeguri:20191004174441j:image
f:id:kofunmeguri:20191026170933j:image
f:id:kofunmeguri:20191026170940j:image

雪野山古墳は、琵琶湖の南東の湖東平野の独立山塊のひとつの雪野山の標高308.8mの山頂で、1989年の調査で未盗掘の縦穴式石室が見つかり、古墳であることがわかった。古墳時代前期(4世紀前半)の前方後円墳。全長70m。銅鏡5面、漆製品、銅鏃、石製品、ガラス小玉、鉄製品、壺形土器が出土した。

写真撮影OK、SNS投稿OKとのことで、Twitterで見つけた投稿を貼っておく。

f:id:kofunmeguri:20191004181821j:plain

雪野山古墳の発掘調査団には、前方後円墳体制論で有名な都出比呂志(つでひろし)阪大教授を責任者として、当時、阪大の院生だった「未盗掘古墳と天皇陵古墳」の著者の松木武彦岡山大学教授が参加している。そのときの様子は著書に詳しく書かれている。

本展を見て疑問に思ったことがある。「未盗掘の状態で出土」とされるが、石室の天井石は南側の1枚を除いて外され他に転用されていた。それでも未盗掘とはどういうことなのか? 松木教授の著書を読み返して理解した。発掘時に石室の内部は土で埋められ、その上で火を燃やした痕跡と平安時代の土器の破片が見つかった。平安時代に何者かが天井石を外し、内部の副葬品に気づいた上で、手をつけず土を被せ、被葬者に対する畏怖からか、その上で供養したと推測される。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村