週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

武蔵府中熊野神社古墳 府中市西府町

武蔵府中熊野神社古墳はJR西府駅から北に徒歩8分。熊野神社の社殿裏にある古墳。2003年の発掘調査で三段築成の上円下方墳であることが確認された。1段目は一辺32mの方形、2段目は一辺23mの方形、3段目は直径16mの円形。7世紀の築造。墳丘は2009年に復元された。

古墳は数学的に設計されている。3段目の直径と1段目の一辺の比は1対2。3段目の直径と2段目の一辺の比は1対√2。

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石室の開口部。石室は保存のため完全に埋め戻されている。

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東から。

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北から。

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西から。

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葺石(ふきいし)は多摩川の河原石が使われていた。現在は多摩川から採取できないため、復元では山梨県の早川と群馬県吾妻川の河原石が使われた。西側の下方部の一部の石はもとの古墳に使われていた葺石の再利用。他の石より茶色く大きい。

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展示館の1階床面の表示と敷地面の塗装が古墳の大きさと方向を示している。

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石室の玄室の小穴は、古墳を築造するときに中心軸として使われたと思われる。

展示館の屋外に石室復元展示室がある。

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玄室の奥壁と床。

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石室は全長780cm、奥室長さ250cm、最大幅270cmの胴張り複室構造。

展示室には盛り土の剥ぎ取り標本が展示されている。

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国史跡 武蔵府中熊野神社古墳 東京都府中市ホームページ

詳細情報 : 東京都文化財情報データベース

上円下方墳について補足すると、明治天皇以降の近代の天皇の陵墓に上円下方墳の形式が採用されている。それは天智陵(御廟野陵)、舒明陵(段ノ塚古墳)に範を採ったものである。御廟野古墳は1970~80年代に宮内庁が外形を調査し、実測図や写真を公表。それまで方形壇の上に円丘を築いた「上円下方墳」と考えられていたが円丘部は八角形だったことが判明している。段ノ塚古墳も八角墳(上八角下方墳)であることが判明している。ただし、宮内庁では、これらの墳形を「上円下方」としている。現在、上円下方墳とされる古墳は、1例目が1979年の調査で判明した奈良県京都府の境にある石のカトラ古墳。2例目が1986年の調査で判明した静岡県沼津市の清水柳北1号墳。3例目が2003年に判明した武蔵府中熊野神社古墳。4例目が2007年の調査で判明した東京都三鷹市天文台構内古墳。5例目が2008年に確認された福島県白河市の野地久保古墳。6例目が2013年に確認された埼玉県川越市の天王山古墳。確認されていないが可能性があるのが埼玉県熊谷市の宮塚古墳。

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