赤城山南麓の標高約200mの丘陵上に位置する中塚古墳。一辺約40mの方墳。1980年の発掘調査では径約37mの円墳とされていた。南に開口する横穴式石室は中に入れなかったが、以前は入れたようで、その当時の様子を伝えるサイトでは、切石組み石室の頂点に立つ古墳と紹介されている。7世紀後半の築造。山上碑に刻まれた新川臣が被葬者として推定されている。
北東から
東から
南から両袖型横穴式石室が開口する
北西から
墳頂上の祠
公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団|群馬の遺跡・出土品|群馬の遺跡案内|東毛地域 中塚古墳
すぐそばにある武井廃寺塔跡が廃寺ではなく、八角形墳だという説が現在有力なことはご存知でしょうか?
— 六甲 稔 (@t6DqxDRcDvjYeZ7) 2020年12月28日
現場の案内はそのままですが、八角形な事は現状でもはっきり確認でき、書物にも公然と書かれています。
資料は新里村百年史。 pic.twitter.com/oOy49cdtlW
群馬県桐生市 #中塚古墳 。
— ちる (@chiru146) 2021年2月23日
被葬者についてかなり詳しく書いてあります。 pic.twitter.com/yoQNrcTJli
#中塚古墳 、今日は石室入口を塞いでいませんでした。
— ちる (@chiru146) 2021年2月23日
石室へレッツゴー♪
石の表面を平らに磨いてありました。
ひとつの石が文字どおり凸型をしていて、きれいに積み上げてあるのがすばらしく、見応えがあります。 pic.twitter.com/9HZ9GZILNC