古墳めぐりの際に気になった近代化遺産を紹介する。北区中央公園の文化センターの東側に移築された赤羽台3号墳の石室の隣にある東京砲兵工廠銃包製作所のボイラー(部品)と鋼製耐震煙突銘板。東京砲兵工廠銃包製作所は1905年(明治38年)に日露戦争で弾薬の増産が必要になり、小石川から移転してきた。文化センターは1930年(昭和5年)竣工の東京砲兵工廠の本部建物。
旧陸軍東京第一造兵廠第一製造所二七五号棟の一部が北区中央図書館の一部として活用・保存されている。中央公園の北側、中央図書館の西側は陸上自衛隊十条駐屯地。
東京砲兵工廠銃包製作所については以前、以下のブログで取り上げた。
鋼製耐震煙突は芝浦製作所製で、煉瓦造の煙突の周りに鉄板を巻き、耐震性を高めたもの。銘板には「明治三十八年九月竣工」とある。芝浦製作所は、1875年(明治8年)に田中久重が東京・銀座に電信機工場を創設、1882年に東京・芝浦に田中製作所を設立、1893年に芝浦製作所、1904年に株式会社芝浦製作所、1939年(昭和14年)に東京電気株式会社と合併して東京芝浦電気株式会社(現在の株式会社東芝)となる。