週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

酒巻古墳群 (その1) 行田市酒巻

利根川右岸(南岸)の田んぼの下に保存されている酒巻古墳群を探索。

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酒巻古墳群

酒巻(さかまき)古墳群は、利根川右岸のここ行田市酒巻地区に、今から1400〜1500年前の6世紀初頭〜7世紀前半頃(古墳時代後期)に築かれた古墳群です。これまでに前方後円墳3基、帆立貝型前方後円墳1基、円墳19基の計23基の古墳が確認されていて、ほぼ確認された順に酒巻1〜23号墳とされています。 

古墳は古代の権力者・有力者の墳墓で、その大きさが古墳を築いた権力者の力の大きさを表していると考えられています。酒巻古墳群は、全長(墳丘長) あるいは直径(周溝内径)が9〜46mの小型・中型の古墳からなる古墳群で、宅地遺跡など周辺の集落を治めていた地域の有力者たちの墳墓ではないかと推測されます。

小型の古墳が多いこともあって、酒巻古墳群は古墳が築かれた後に地盤沈下とたび重なる洪水で、すべての古墳が現在の地面から約1〜1.5m下に埋もれて姿を消してしまっています。土の中に埋もれてしまったため、古墳があまり破壊されずに残っていることが 多く、埴輪や土器などがその当時に置かれたままの位置で出土することがしばしばあります。

そうしたことから、酒巻古墳群からは埴輪などが良好な状態で多数出土しています。朝鮮半島の文化の伝播がうかがえる国重要文化財の「酒巻14号墳出土埴輪」、埼玉県指定文化財の 「酒巻15号墳出土品」など、大変貴重な埴輪も出土しています。

酒巻1号、前方後円墳、全長46m、直刀・刀子・鐔・鉄鏃・耳環・土師器・須恵器・埴輪、横穴式石室、文献[1]
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酒巻1号墳

酒巻1号墳は、6世紀後半に築かれた全長約46mの前方後円墳です。 ちょくとう 胴張り型横穴式石室2基を持ち、石室から直刀、鉄鋼、刀子、鉄族、 きんかん すえき 装身具の金環、須恵器などの土器が出土しています。また、古墳の うまがたはにわ 周りから埴輪が一列に並んで出土し、その中の足の長い馬形埴輪が、 県立さきたま史跡の博物館で展示されています。

酒巻23号墳、円墳、規模不明、埴輪、古墳跡(周堀)、文献[1]
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酒巻3号墳、円墳、規模不明、土師器、横穴式石室、文献[1]
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酒巻4号墳、円墳、規模不明、横穴式石室、未調査、文献[1]
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酒巻9号墳、円墳、規模不明、埴輪、未調査、文献[1]
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下記のマップを頼りに歩いた。

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酒巻古墳群はブラタモリでも取り上げられた。

文献

[1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」

[2] 近藤義郎 1994『前方後円墳集成 東北・関東編』山川出版社

 

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