8月のお盆の時期に所用のついでで、土浦市の高崎山古墳群の西支群の高崎山2号墳の横穴式石室を見学した。高崎山2号墳は、1997年(平成9年)に墓地造成事業に伴い発掘調査が行われた。全長35mの前方後円墳。後円部の横穴式石室が移設・保存されている。石室は全長4.2m、高さ1.5m、南に開口、内壁面に赤色顔料の痕跡、筑波石を使った乱石積。文献[1]では「伝えるところによれば、新治村の高崎山古墳群は、総数15基程度というのに、5基の前方後円墳」、文献[2]では「高崎山古墳は、田宮梶の宮遺跡からは西側に延びる細長い台地上に立地する古墳群で、東支群と西支群からなり東支群は前方後円墳1基と彩色人物埴輪の出土した円墳等7基から成る。西支群は平成9年の調査で新しく確認された前方後円墳1基と円墳2基からなる古墳群で横穴式石室から6世紀第2四半世紀頃の須恵器とともに馬具・武具・玉類が出土している。」、現地の説明板では、西群2基、東群7基の計9基。
上高津貝塚ふるさと歴史の広場 第13回企画展「高崎山2号墳と桜川流域の後期古墳」/広報つちうら 第974号 平成20年3月4日発行
文献
[1] 筑波古代地域史研究グループ編著 1982 『筑波古代地域史の研究』筑波大学
[2] 山武考古学研究所 2001 『田宮梶の宮遺跡』新治村教育委員会
[3] 山武考古学研究所 2001『高崎山古墳群西支群第2号墳・第3号墳』
[4] 上高津貝塚ふるさと歴史の広場 2008「高崎山2号墳と桜川流域の後期古墳 : 第13回企画展」土浦の遺跡 13
[5] 茨城県考古学協会 2010「茨城の考古学散歩」東冷書房
[6] 土浦市教育委員会 2011 『土浦市遺跡地図』土浦市教育委員会
調査年や調査機関の違いによって、古墳群の基数はバラつきますよね😓
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2022年9月29日
私はなるべく、新しいデータや市町村教育委員会のデータを尊重しますが。
この👇️『常陸の古墳群』では どうなのでしょうか?(高過ぎて私は持っていませんが💧)https://t.co/NgZKLHcWiu