高柳銚子塚古墳は、JR内房線の巌根(いわね)駅から線路沿いを南に徒歩で約20分のところに後円部の一部が残っている。文献[2]では「墳丘主軸長142.3m、後円部径82.5m、前方部幅89.0mで、房総最大の内裏塚古墳(墳丘長148m)に次ぐ規模の前方後円墳」と推定され、盾形の周溝を持ち、場合によっては墳丘主軸長は150mを優に超え房総最大の前方後円墳の可能性も示唆された。文献[3]によると「明治末年の鉄道建設の際,前方部が削り取られ,また戦時中に高射砲指令所が設置され,後円部の中央が大きくえぐられた」とのこと。現地には高柳銚子塚古墳の説明板は見当たらず、「至徳堂を知る会」が立てた説明板があった。至徳堂については、木更津市郷土博物館「金のすず」に関連資料が展示されていた。至徳堂は文化14(1817)年に設立された郷学(ごうがく、教育機関)で山子学(さんしがく、儒学の折衷派)を地元の若者に教えた。至徳堂関連資料は千葉県指定有形文化財(歴史資料)。
「墳丘南側に長持形石棺の底石が見られる」というのはこの石材? ではないそうだ。
長持形石棺については
長持形石棺の石材ですが、僕も以前探したけど見つからず、確認したら、諸事情により、掘り起こされてしまい、今は倉庫に保管されていると聞きました。大きくて輸送も大変で展示の予定はないそうです。
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2021年12月11日
文献
[1] 千葉県教育委員会 1990年「千葉県所在古墳詳細分布調査報告書」
[2] 白井久美子 1995「高柳銚子塚古墳をめぐる諸問題」日本考古学第2号
[3] 房総の古墳を歩く編集委員会 2006『房総の古墳を歩く 改訂版』芝山町立芝山古墳・はにわ博物館友の会
[4] 木更津市教育委員会 2009 『木更津市文化財調査集報14:埋蔵文化財(銚子塚古墳・金鈴塚古墳)の発掘調査』木更津市教育委員会