稲荷山古墳出土鉄剣は1968年に埼玉(さきたま)古墳群の稲荷山古墳の後円部の発掘調査で出土した鉄剣。1978年、腐食の進む鉄剣の保護処理のためX線による検査で鉄剣の両面に115文字の漢字が金象嵌で表されていることが判明。9月に毎日新聞のスクープ報道「埼玉県・稲荷山古墳の鉄剣から『ワカタケル雄略天皇』の銘」で世に知られた。毎日新聞は新聞協会賞(編集部門)を受賞している。1983年に国宝に指定された。
銘文は115文字を示す。
(表)
辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比
(裏)其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也
「獲加多支鹵」を「ワカタケル」と読み、雄略天皇と解釈する説が有力とされている。雄略天皇は『古事記』では大長谷若建命、大長谷王、『日本書紀』では大泊瀬幼武天皇、大泊瀬幼武尊。
冒頭の「辛亥年」は辛(かのと)の亥(い)の年で、351年、411年、471年、531年、591年と60年周期。稲荷山古墳出土鉄剣の辛亥年は471年が定説。471年説の根拠は、獲加多支鹵がワカタケルで雄略天皇を示すなら、雄略天皇は、日本書紀に天皇の在位年数が記述されていて、飛鳥時代の始まりの推古天皇即位を祟峻5年12月8日(新暦593年1月15日)とすると、そこから遡って、雄略天皇の在位は、安康天皇3年11月13日(456年)から雄略23年8月7日(479年)。稲荷山古墳出土鉄剣の辛亥年が471年なら雄略天皇の在位期間にあたるという理屈。
#稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年4月22日
「辛亥年」「獲加多支鹵大王」(ワカタケル大王)等の115文字が鉄剣の両面に金象嵌で記されています。発掘から10年後、サビ落とし作業中に銘文の存在が確認され、世紀の大発見となりました。(資)#博物館 #考古学 #古墳 #埼玉古墳群 #国宝展示室 #展示品紹介 #国宝 pic.twitter.com/GhjrQ7Zkex
辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比#明日から七月 #古代からのメッセージ #受け取ってください #鉄剣表面 #鉄剣月間 pic.twitter.com/n43IZKoQlx
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年6月30日
【グッズ紹介】人気の国宝鉄剣銘文 #トートバッグ。「其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百錬利刀記吾奉事根原也」(総)#明日から七月 #古代からのメッセージ #鉄剣裏面 #鉄剣月間 pic.twitter.com/d0KUcWfbQa
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年6月30日
【3次元モデル】下記URLにて稲荷山古墳から出土した国宝金錯銘鉄剣の3次元モデルを公開しています。https://t.co/kcWwsjVKjC 金錯銘115文字のきらめきとともに、ただ今、#115文字のメッセージ を募集中です。ぜひご参加ください。#鉄剣月間 pic.twitter.com/e9KiJ0sWcI
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年7月2日
7月は鉄剣月間ということで、埼玉古墳群が誇る国宝 金錯銘鉄剣について特集していきます。まずは、鉄剣に刻まれた115文字の発見にいたるまでの経緯をお話しします。
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年7月13日
埼玉古墳群では、昭和43年からの風土記の丘整備に際し、稲荷山古墳を発掘しました。当初、古墳群最小である愛宕山古墳が第一候補でしたが、稲荷山古墳の前方部が削平されていたことから変更になりました。これによって、のちに国宝が発見されることとなります。(史)#鉄剣月間 #埼玉古墳群 pic.twitter.com/ywg0eryRlY
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年7月13日
昭和43年に行われた稲荷山古墳の発掘調査では、後円部墳頂に礫槨と粘土槨の二つの埋葬施設が見つかりました。礫槨は盗掘を免れており、豊富な副葬品が出土しました。礫槨から出土した金錯銘鉄剣は、全面が錆びで覆われていたため、まだ銘文の存在には気づきませんでした。(史)#鉄剣月間 #埼玉古墳群 pic.twitter.com/NTz7HrGTNU
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年7月14日
稲荷山古墳の発掘調査から10年後のことでした。出土した鉄剣の保存処理を行っている最中に、きらりと光る金文字を発見したのです!X線撮影により、115文字の銘文の存在が明らかになりました。この発見は、「世紀の大発見」として、連日新聞を大きく賑わせました。(史)#鉄剣月間 #埼玉古墳群 pic.twitter.com/TRadcqdK1Y
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年7月15日
鉄剣に刻まれた銘文の発見後、慎重な研ぎ出しが行われ、115文字の姿があらわになりました。3年後には礫槨出土遺物が一括して重要文化財に指定され、そのわずか2年後には国宝に指定されました。厳重な保存・管理体制のもと、当館で本物の鉄剣をご覧いただけます。(史)#鉄剣月間 #埼玉古墳群 pic.twitter.com/etKLLMzXB8
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年7月16日
現在公開中の金錯銘鉄剣3次元モデルは、ARとしても閲覧することが可能です。
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年7月20日
鉄剣や埴輪のモデルと一緒に、いつでもどこでも写真撮影できてしまいます!
※ARモードの利用には、専用アプリのダウンロードが必要となります。Wi-fi環境下でのご利用を推奨しております。(史)#鉄剣月間 #埼玉古墳群 pic.twitter.com/qwIyH4WGAR
【#鉄剣月間】
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年6月24日
埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣」。この剣に刻まれた「辛亥年七月」の文字にちなみ、7月は特に力を入れて情報を発信します。
館内・Webを横断して3つの企画を行います。
↓各企画の詳細を公開しました!https://t.co/iTDer8zHhF pic.twitter.com/Yuj4hVs3c4
【#鉄剣月間 予告1】
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年6月28日
投稿型企画「115文字のメッセージ」
国宝・金錯銘鉄剣の115文字の銘文にちなみ、家族や地域への気持ち、埼玉古墳群の思い出や、この一年がんばったことを短くつづってみませんか?
投稿いただいたメッセージは、twitterや館内でご紹介する予定です。https://t.co/PUeH3vzaIU pic.twitter.com/hyU3ISQYmh
【#鉄剣月間 予告2】
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年6月29日
クイズラリー「探検! 国宝展示室」
さきたま史跡の博物館の国宝展示室をまわって、6つのクイズに答えよう!
クイズの答えでキーワードを完成させればクリア!
HP上では体験版クイズもご用意します!https://t.co/skO9hYtbE6 pic.twitter.com/fFN2zF9B9w
【#鉄剣月間 予告3】
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年6月30日
twitter「鉄剣 エピソードゼロ」
当館に実物を展示中の国宝 金錯銘鉄剣。この剣はどのように発掘され、115文字の銘文はどのように見つかったのでしょうか。
世紀の大発見の裏側を、当時の写真をまじえてtwitterで連日配信します。https://t.co/rDRbVZXjJm pic.twitter.com/OzeUFmjFkW
埼玉古墳群では、昭和43年からの風土記の丘整備に際し、稲荷山古墳を発掘しました。当初、古墳群最小である愛宕山古墳が第一候補でしたが、稲荷山古墳の前方部が削平されていたことから変更になりました。これによって、のちに国宝が発見されることとなります。(史)#鉄剣月間 #埼玉古墳群 pic.twitter.com/oulb2SQubU
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年7月12日
昭和43年に行われた稲荷山古墳の発掘調査では、後円部墳頂に礫槨と粘土槨の二つの埋葬施設が見つかりました。礫槨は盗掘を免れており、豊富な副葬品が出土しました。礫槨から出土した金錯銘鉄剣は、全面が錆びで覆われていたため、まだ銘文の存在には気づきませんでした。(史)#鉄剣月間 #埼玉古墳群 pic.twitter.com/Js1OCnToAl
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年7月13日
鉄剣は昭和43年に稲荷山古墳の礫槨で発見されました。その礫槨は当初覆屋を設けて露出展示していましたが、風化による損傷も激しくなったため、恒久的に保存するために問題になり、昭和57年に新たな保存整備計画が立案されることになりました。(史) #鉄剣エピソードゼロ pic.twitter.com/v5eij4nMfz
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年7月26日
昭和58年の整備工事では、覆屋を撤去したのち、川砂を敷いて礫槨を埋没させ、その上に礫槨レプリカを設置しました。これによって礫槨本体は守られることになりましたが、太陽光によるレプリカの劣化・退色が進行したため、平成3年に補修工事が行われました。(史)#鉄剣エピソードゼロ pic.twitter.com/rKmiLH1C8v
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2022年7月27日
引き続き。
— taku (@lotusseeds32) 2023年1月6日
「倭王武=雄略天皇」と言う定説には穴があると前に言ったけど、「倭王武=ワカタケル」も関連してやや無理な解釈であるらしい。
この「倭王武=ワカタケル」と言う図式を前提として従来は稲荷山古墳鉄剣銘の「辛亥」年を471年とし、武はそれ以前に即位していたものとみなしていた(↓) https://t.co/sd745FrPIp
それに加え、銘の「天下を治める」と言う概念の出現に着目し、この頃にはヤマト王権の勢力が中国からの冊封によらないほどに成熟しており、武は即位の後長期に渡って宋への遣使を行わなかったことの説明としていた。(↓)
— taku (@lotusseeds32) 2023年1月6日
が、武の権力が中国の冊封を必要としない程だったのならば、何故478に遣使を行い、自らと配下の王・豪族への官爵を要求したのか説明がつかなくなる。
— taku (@lotusseeds32) 2023年1月6日
そのため、武の在位中も列島の権力者らは中国の権威に依存していたと考えた方が自然。(↓)
そういった点から、この従来の説も倭王武とワカタケルを同一人物として理解しようとしたために無理が生じている事が分かる。(終)
— taku (@lotusseeds32) 2023年1月6日
銘文刀剣としては
この「鹵獲(ろかく)」という文字は、初めて見るけど、見慣れた漢字と思うのは、「獲加多支鹵(ワカタケル)」の前後の2文字のひっくり返しだから。軍事用語と古代史用語。 https://t.co/iizWIpMPjL
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2022年3月13日