清光寺は、平安時代末期から鎌倉時代初期、豊島郡を中心に活躍した豪族豊島康家・清光が開基した寺院と伝えられる。清光寺に安置されている僧形の清光の坐像は、現存する唯一の清光の肖像で、北区の有形文化財に指定されている。江戸時代の作。清光は近年に発見された「桓武平氏諸流系図」(鎌倉時代末期成立)などから清元が正しいとさる。1180年(治承4年)に石橋山の戦いに敗れた源頼朝は安房国で再挙、房総半島を進軍して、千葉常胤、上総広常が加わり、3万の大軍に膨れ上がり、隅田川に達した。この時、豊島清元・葛西清重父子は頼朝の陣に参上する。頼朝が鎌倉を占拠すると御家人に列した。豊島氏は鎌倉幕府の有力御家人となり、豊島・足立・多摩・児玉・新座の諸郡に所領を持ち、室町時代まで続くことになる。
【#常展だより】
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2021年3月21日
常設展示室の奥におられるこちらの方の名前は #豊島清光。
彼の一族である豊島氏は11世紀以降、当時の北区にあたる豊島郡を支配しました。
本資料は複製ですが、現物は清光が一人娘の冥福を祈るために建立したとされる #清光寺 に安置されています(北区指定有形文化財)。 pic.twitter.com/hWPvyUSgda
堀船の船方神社の十二天塚は、入間川に身を投げた豊島清光の姫と十二人の侍女を祀ったと伝わっている。
緊急事態宣言の解除を受け、古墳巡りの再開を検討中。