JR大井町駅近くの「ホテルルートイン品川大井町」横一帯に東京毛織の煉瓦造り工場の一部の古い煉瓦塀、土台の一部が残る。
煉瓦の刻印がないか再訪したので追加(6/11)。扇の形の刻印。2個の煉瓦で確認。
無沙汰しております。
— ちょいのり (@choinori5) 2021年4月29日
勤め先の料理屋も暫く休業···
最近は自転車か徒歩で近隣をブラブラでやす^^;
毛長川沿い(花畑地区)の駐車場にて『銀杏葉型』の刻印煉瓦を見つけました。いつも思うがドコの製品なのかな? pic.twitter.com/iGvj4WNsMN
この扇型の刻印は北区教育委員会の東京砲兵工廠銃包製造所建造物調査報告書(1996)の表4-9赤煉瓦刻印一覧の「No31 十条支処使用煉瓦、製造所不詳」となっています。
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2021年4月29日
第一次世界大戦中の1917年(大正6年)に、東京・白金台に創業した「後藤毛織」を前身とする鈴木商店系の「東洋毛織」、東京・王子に創業した「東京製絨」、東京・南千住を拠点とした「東京毛織物」の3社が統合して新生・「東京毛織」が誕生。現在の大井町駅の東側の旧東京製絨・品川工場を、西側の旧東洋毛織・大井工場に集約して、東京毛織・大井工場となった。東京毛織・大井工場は、大井町駅西口前に煉瓦造りの広大な工場、倉庫群を備え、最盛期には2,000人もの女工さんが働いていた。大井工場は、その後、鐘紡に引き継がれたが1965年に閉鎖。日本は1964年の東京オリンピック終了後の1964年後半から1965年にかけて、証券不況、昭和40年不況、構造不況と呼ばれる不況に見舞われた。
「平和の誓い」像 (大井町駅西口)
大井町駅の東側にあった旧東京製絨・品川工場の跡地は立会尋常高等学校になった。現在の品川区立立会小学校は、大井公園内古墳がある大井公園脇の山内容堂の墓の隣にある。