姥山貝塚は、下総台地の西端、向根支谷の北側に位置する縄文時代中期から後期(約5,000〜3,000年前)の馬蹄形貝塚。貝層の規模は外径が東西130m、南北120m。標高23〜25m。竪穴住居跡は39か所、人骨は143体が見つかっている。
D地点
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A地点
B地点
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S1地点
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M1地点
M2地点
M3地点
貝が露出している
東京大学総合研究博物館のサイトに姥山貝塚から出土した人骨の写真や説明がある。縄文の骨
シンポジウム「姥山貝塚の5体の人骨の謎に迫る」備忘録
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2024年3月10日
まず、縄文時代という時代と姥山貝塚を中心に市川市周辺のかっての姿につき、概要を解説。
その後、人骨の観察の仕方とそこから分かる性別や年齢などについて。さらに、縄文時代の人々の寿命につき、最新の知見を紹介。
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さらに、縄文時代の人々の寿命につき、最新の知見を紹介。15歳時の平均余命は、おおよそ30〜35年ということ。そして、本題の形質人類学からみた、これらの人骨から分かったことの詳細を。
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ここからが圧巻。最新の次世代シークエンスを用いたミトコンドリアDNAの分析により、
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5体の人骨のハプロタイプはN9b系統ながらDNA全配列でみていくと、5体とも独自の塩基置換を多数持っており、近い母系関係は検出されないことが分かったとのこと。さらに、性別については、XY染色体の検出により、形質人類学的見解と一致が確認されたそう。
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人骨の出土状況をよく観察するとそれなりに乱れていることから、空隙環境とよばれる白骨化して、しばらくしてから、土がかけられたと推測され、人骨は柱を避けるように存在することから、まだ、住居があるうち葬られたと考えられるそう。それぞれが葬られた時期も同時でも矛盾しないが、
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別々の可能性もあるそう。さらに、食性分析はそれほど一致はせず、同居していた訳でもではないことも判明。
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つまり、今まで、フグ毒により亡くなった家族なんて言われてきたけど、どうもそうではないが判明。ここに葬られて人々はどのような人々だったのか?よそから来て、亡くなり、
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たまたま使ってない住居址に葬られたのか?はたまた、なんらかの関連があるのか?廃屋墓のみならず、縄文時代の家族、集落といった社会のありようの理解を根底から変える必要があるのかもしれない。
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2024年3月10日
なかなか有意義な時間だった。
残念なのは、せっかく人骨をここまで詳細に観察しても、臨床医がしっかり関与してないようで、症状や病名などは、、、
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2024年3月10日
勿体ない。😔