週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

那須国造碑 大田原市湯津上

笠石神社のご本尊として祀られている那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)。徳川光圀の命により侍塚古墳で行われた学術的発掘調査の契機になった石碑。日本三碑。国宝。

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日本考古学の原点 湯津上の侍塚古墳

那須の湯津上は国宝・那須国造碑、史跡・侍塚古墳を擁する下野国有数の歴史的中枢の地域である。 
那須国造碑に見える「直韋提」の由来を志向し、奥津城を探索した水戸藩主徳川光国公は、往古具現の英傑として史上に膾炙されている。とくに侍塚古墳の発掘は、わが国の考古学の根源として光輝している。
侍塚古墳の発掘は被葬者告諭に初じまり、墳丘形状の測地、発掘の目標、発掘出土物の絵図化、発掘次第文を添えて出土物を木箱に一括密封して埋置、発掘後の墳丘復旧など一連の経緯が総括され、光圀公の指示により儒臣佐々宗淳の差配、庄屋大金重貞の知恵文筆の記録として伝えられている。
この希有の事跡は、近代の考古学の方法と等しく、正に日本考古学の原点として、高く評価される。
令和三年三月二十八日 文学博士 坂詰秀一 撰文

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那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ) 国宝(古文書) | 大田原市

国指定文化財等データベース

那須国造碑 - とちぎふるさと学習

那須国造碑 大田原市観光協会 栃木県大田原市の観光案内

那須国造碑|観光情報検索 | とちぎ旅ネット

文献

[1] 大田原市なす風土記の丘湯津上資料館 2022『日本考古学発祥の地』

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