週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

かね山古墳 さいたま市桜区白鍬

大久保古墳群で墳丘が残っている古墳の中で最も北にある「かね山古墳」。円墳。直径15m。高さ2.5m。6世紀後半の築造。台耕地稲荷塚古墳から南に徒歩8分。 北西から。 南から。 南東から。 さいたま市/文化財紹介 かね山古墳 文献 [1] 宮川進 1997「さいたま…

小山稲荷古墳 さいたま市西区水判土

小山稲荷(おやまいなり)古墳。円墳。直径17m。墳丘の上に稲荷社。原稲荷古墳から南東に徒歩2分。 にほんブログ村

原稲荷古墳 さいたま市西区佐知川

側ヶ谷戸古墳群の北に位置する植水(うえみず)古墳群で、最も大きい原稲荷古墳。墳丘の上に原稲荷神社が祀られている。発掘調査はされておらず、詳細不明。円墳。直径40m。方墳の可能性もある。 1982年に原稲荷古墳の南側から工事中に植水1号墳が見つかった。…

円阿弥古墳 さいたま市中央区円阿弥

側ヶ谷戸古墳群の東端にある円阿弥(えんなみ)古墳。円墳。直径16m。7世紀の築造。台耕地稲荷塚古墳から東に徒歩5分。 にほんブログ村

台耕地稲荷塚古墳 さいたま市大宮区三橋

側ヶ谷戸(そばがいと)古墳群の中で南にある台耕地稲荷塚(だいこうちいなりづか)古墳。円墳。直径24m。高さ2m。周溝から30mを超える円墳と推定される。両袖形の横穴式石室が南に開口。凝灰岩の戴石。全長4.4m。石室内から切子玉、ガラス製小玉、漆塗木製小玉…

上之稲荷古墳 さいたま市大宮区三橋

アパートに囲まれた古墳。上之稲荷(かみのいなり)古墳。円墳。かつては直径20m、高さ2mだったが、今はかなり変形している。墳丘上に稲荷社が祀られている。山王山古墳から南に徒歩2分。 裏から。 さいたま市/文化財紹介 側ヶ谷戸古墳群(上之稲荷古墳) に…

山王山古墳 さいたま市大宮区三橋

慈寶院(じほういん)の墓所にある山王山(さんのうやま)古墳。墳丘は失われて石室が露出している。円墳。直径20m。7世紀の築造。石室は砂質凝灰岩によるやや胴張りの半地下式横穴式石室で、現全長2.3m、幅1.8m、石室内から大刀、刀子を検出。茶臼塚古墳から東…

茶臼塚古墳 さいたま市大宮区三橋

荒川の支流の鴨川に面した台地や自然堤防上に位置する側ヶ谷戸(そばがいと)古墳群の茶臼塚(ちゃうすづか)古墳。円墳。直径30m。高さ3m。6世紀後半の埴輪が出土。 南から。 西から。 北から。 北東から。 東から。 鴨川と古墳の間の水田。ここに1950年代まで…

女塚古墳 大田区西蒲田

女塚神社の社殿の隣にある古墳。円墳。JR蒲田駅から北西に徒歩7分。 「女塚古墳の由緒」と刻まれた石碑 下記のサイトで女塚古墳にまつわる三つの伝説について詳しく説明されている。 古墳なう 「女塚古墳」 にほんブログ村

鶴見神社境内貝塚 横浜市鶴見区鶴見中央

JR鶴見駅東口から徒歩5分。鶴見神社の境内で2008年に発見された弥生時代末期から古墳時代前期の貝塚。この時代の貝塚が良好に保存されている例は少なく貴重な遺跡。 富士塚。 にほんブログ村

諏訪坂古墳 横浜市鶴見区諏訪坂

かつて鶴見区にあった古墳。前方後円墳。墳長約25m。方位はほぼ北東。1950年代に消滅(詳細不明)。石棺の石蓋が諏訪坂公園に保存されている。 左の石板が石蓋。 道標。 諏訪坂公園。 諏訪坂稲荷。 諏訪坂古墳があったとされる辺りから總持寺(そうじじ)の眺め…

南加瀬貝塚 川崎市幸区南加瀬

夢見ヶ崎動物公園のある加瀬山は縄文時代前期の海進期には海に浮かぶ島だった。加瀬山の南にある南加瀬貝塚は、縄文時代と弥生時代にわたる貝塚として知られている。貝層は戦前に石灰を作るために多くが取り去られ、その後の開発などもあって今はほとんど残…

兜塚古墳跡 横浜市鶴見区駒岡

兜塚は、1457年に太田道灌が支城地の調査ため、加瀬の台(川崎市幸区)を候補地として一夜を過ごした時、道灌の兜を鷲が奪って、本地に落とし、そして鷲が兜を埋めたいう伝説から、その名が付いた。墳丘は僅かしか残っていない。1938年に土取り工事によって削…

堂ノ前古墳 横浜市鶴見区駒岡

鶴見川に面する丘陵地帯に築かれた前方後円墳。墳長25m。後円部の径16m。高さ4.5m。6世紀後半の築造。1960年代にくびれ部を大きく破壊、墳端削平。師岡熊野郷土博物館が埴輪採集。瓢箪山古墳から南西に徒歩5分。鷹野大橋バス停からは徒歩6分。 北側からアプ…

瓢箪山古墳(お穴様) 横浜市鶴見区駒岡

明治の末ごろ、京浜電鉄(現京浜急行)の軌道をつくる土をとるために瓢箪山を切り崩していたところ、丘の中腹で2m四方の大きな横穴が発見され、その穴の中から人骨、埴輪、土偶、勾玉、刀剣などがたくさん出てきた。穴の入口に格子戸を立て「お穴さま」として…

白山古墳と第六天古墳 川崎市幸区北加瀬

白山(はくさん)古墳は4世紀後半頃に築かれた武蔵国でも最も古い大形の前方後円墳。全長87m。1937年に発掘調査され、遺体を安置した主体部からは鏡類・玉類・鉄器類など多量の副葬品が発見された。多摩川流域では唯一の「初期」の三角縁神獣鏡が出土している…

加瀬台古墳群 川崎市幸区北加瀬

標高30mほどの細長く突き出した加瀬台(夢見が崎)にある古墳群。4世紀後半から7世紀後半に築造された10基の古墳のうち6基が現在する。川崎駅西口の55番のバス乗り場から川崎市バス「川64、川63、川66、川67」に乗車して、夢見ヶ崎動物公園前バス停で下車。徒…

塚越古墳 川崎市幸区塚越

川崎市幸区塚越に所在する塚越古墳は「塚越」という地名の由来になったとされる古墳。円墳。直径18m。高さ3.2m。川崎駅西口の55番のバス乗り場から蟹ヶ谷行きの川崎市バス「川64」に乗車して、塚越バス停で下車。徒歩7分。塚越には川63、川66、川67でも行け…

光明寺荒塚1号墳 大田区鵜の木

大田区の名刹の光明寺境内にある円墳。直径23m。高さ3m。本堂の右手のスロープを上がった先の墓所にある。光明寺は東急多摩川線の下丸子駅から徒歩5分。環八通り沿い。 新大田区百景 「光明寺」 大田区 にほんブログ村

神奈川県 秦野市・伊勢原市のまとめ

神奈川県秦野市の古墳 神奈川県秦野市の遺跡 神奈川県伊勢原市の古墳・横穴墓 神奈川県伊勢原市の遺跡・史跡・神社仏閣 神奈川県秦野市あたりをGoogleマップで見てたら、以前訪れてた古墳が次々消滅してて深い悲しみに包まれている... pic.twitter.com/S2DYC…

稲荷丸塚 世田谷区上野毛

上野毛自然公園の野毛(崖)の上にある塚。世田谷区の遺跡番号220、径8m、高さ2m。上野毛自然公園は国分寺崖線上にある公園で、斜面の上側にサクラのや広場、下側に湧き水で作られた流れや池があり、ショウブなどの湿性植物を見ることができる。

稲荷丸古墳 世田谷区上野毛

上野毛稲荷塚古墳から北北西に500m。五島美術館の庭園にある稲荷丸古墳。円墳。径20m。高さ2m。世田谷区の遺跡番号251。 この地は隣接する遺跡(稲荷丸北遺跡)の発掘調査により竪穴内点在貝塚を含むなど縄文時代の前期後半の竪穴式住居も見つかり、都内では…

上野毛稲荷塚古墳 世田谷区上野毛

野毛大塚古墳から北西に600m。小規模な前方後円墳。全長約33メートル。後円部の高さ3メートル。4世紀末に造られた、野毛古墳群で最初に出現した古墳。 上野毛稲荷塚古墳 | 世田谷区

野毛大塚古墳 世田谷区野毛

御岳山古墳から北西に500m。上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群のなかで最大規模の帆立貝形古墳。全長82m。周囲には馬蹄形の濠がめぐり、これを含めた全長は104m。古墳の表面は葺石で覆われ、都内最古の埴輪列が立てられている。5世紀初めころの築造…

等々力渓谷横穴墓群 世田谷区等々力

御岳山古墳の西を北から南に流れる谷沢川が武蔵野台地を浸食してできた等々力渓谷。谷間の崖地に造られた横穴墓群は、古墳時代後期から奈良時代(7世紀後期から8世紀)に築造と推定される。これまでに調査した3基のうち、3号墓はガラス越しに内部がのぞけるよ…

御岳山古墳 世田谷区等々力

狐塚古墳から北西西に330m。5世紀後半から6世紀中葉の帆立貝形古墳。全長54m、後円部直径40m、高さ7m。1917年に出土した七鈴鏡は都指定の有形文化財。1950年の学習院高等科史学部の発掘調査で出土した三角板鋲留短甲と横矧板鋲留短甲は学習院大学史料館に収…

狐塚 世田谷区尾山台

八幡塚古墳から北西西に380m。古墳時代中期後半(5世紀後半)の円墳。直径30m。 狐塚古墳緑地 | 世田谷区 文献 [1] 大田区立郷土博物館 1992『大田区 古墳ガイドブック』 2019年に野毛古墳まつりの野毛古墳群散歩で再訪した。

八幡塚古墳 世田谷区尾山台

宝萊山古墳から北西に1.1Km。尾山台宇佐神社境内にある八幡塚古墳。造出付円墳。全長33m。 立入禁止の奥をズームすると石段が見える。文献[2]に掲載された写真「八幡塚古墳全景(南から)平成7年(1995)発掘調査時」に墳頂に登る墳丘の石段としてこの石段が…

鵜の木一丁目15番古墳 大田区鵜の木

鵜の木一丁目横穴墓の近くにある古墳。住宅地にある。手入れが行き届いている。文献[1]によると「円墳(現存部分南北径17m、東西径10m)」「今回の調査で存在を確認。」とする。 文献 [1] 東京都教育委員会 1985『都心部の遺跡 -貝塚・古墳・江戸- 東京都心部…

鵜の木一丁目横穴墓群 大田区鵜の木

7世紀後半から8世紀前半にかけて構築された横穴墓群。6号墓は切石羨門構造をもつ貴重な横穴墓として保存された。 羨道(えんどう)とは古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分。慣習的に「せんどう」とも呼称する。切石(きりいし)とは正方…