週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

近代横浜の土木遺構 横浜市中区日本大通り

横浜の煉瓦巡りの続き。

横浜ユーラシア文化館

近代横浜の土木遺構
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近代横浜の土木遺構

この屋外展示では、横浜市域で発掘されたさまざまな土木遺構を紹介しています。1923(大正12)年の関東大震災によって、横浜の都心部は大きな被害を受けますが、地震で倒壊した建物の基礎や明治時代に埋設されたライフラインなどが、現在でも地中から発見されています。これらの遺構は当時の建築・土木技術の水準を伝えるものであり、近代横浜のまちづくりの歴史を物語る貴重な歴史資料といえます。

*この屋外展示スペースは、株式会社三陽物産からの寄付金をもとに整備したものです。整備にあたっては、株式会社栄光より神奈川台場の石をご提供いただきました。

2013年12月 横浜都市発展記念館

卵形下水管
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卵形下水管

2001(平成13)年10月に、県庁前の日本大通りで発見された煉瓦造の卵形下水管です。現在の山下町一帯はかつての外国人居留地にあたり、煉瓦造の下水道網が広がっていました。下水管は明治10年代半ばに設置されたもので、大中小3種類あるうちの「中下水」に相当し、煉瓦造のマンホール (4F常設展示室に原寸大再現模型を展示)に接続していました。一定の流速を確保するため管の断面は卵形をしており、枕木を敷きならべた上にコンクリートを巻いて敷設されていました。

横浜市瓦斯局のガスタンク基礎
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横浜市瓦斯局のガスタンク基礎

2013(平成25)年7月に、市立本町小学校内の発掘調査で発見された煉瓦積み基礎の一部です。1872(明治5)年に操業を開始した横浜瓦斯会社では、製造したガスを蓄えておくためのガスタンク(正式名称:ガスホルダー)が4基建設されますが、この基礎は、横浜市瓦斯局時代の1906(明治39)年に完成した4号タンクのものと思われます。円筒形のタンクを支えるため、基礎も二重の円形となっていました。

国内最古のガス管
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国内最古のガス管

この鋳鉄管は、2002(平成14)年1月に、市立本町小学校(中区花咲町)の校庭から出土したものです。同校の敷地は、日本で最初にガス事業を興した横浜瓦斯会社(のちに横浜瓦 斯局と改称)の施設が建っていたところで、ここで製造されたガスは、地中に埋められた鋳鉄管を通って街なかのガス灯に送られていました。管の接合部分には、瓦斯会社の創業時に資材を購入したイギリスのレイドロー社(R. Laidlaw & Son)のイニシャルがあり、この管が国内最古のガス管であることを裏づけるものです。

神奈川台場の石
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神奈川台場の石

神奈川台場は、勝海舟の設計により湾岸警備のための砲台として築造されましたが、1860(万延元)年の完成後も実戦に使用されることはなく、外交使節の来航時に祝砲などを放つ砲台として利用されてきました。展示している石は、2011(平成23)年7月の発掘調査で出土したもので、神奈川台場の東海面側石垣に用いられていた間知石(四角錐形の石)です。発見された石垣は現地で保存され、「ヒス トリアレジデンス海舟」(神奈川区星野町)内 の資料室で見ることができます。

ガス灯
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ガス灯

このガス灯は、横浜都市発展記念館所蔵の明治時代のガス灯柱(4F常設展示室に展示)から型を取って復元したものです。頭部は残っていなかったため、明治時代の着色写真に写っているガス灯を参考に新規に製作しました。台座には製造元を示す「R. LAIDLAW & SON GLASGOW」の文字があり、このガス灯がイギリス・グラスゴーのレイドロー社で製造されたものであることがわかります。

横浜市外電話局
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横浜都市発展記念館 横浜ユーラシア文化館

旧横浜 市外電話局

戦前逓信省営繕組織の設計による建物の貴重な現存例。当初表現主義の色彩の濃い設 計で建設が進められていたが、関東大震災に遭ったため現在の設計になった。外観はタイル張りと一部石張りによるシンプルな造形だが、1階のアーチの窓判やコーニスなどが 特徴的である。

所在地:中区日本大通12

構造・規模:RC造4階、地下1階

建築年代:昭和4年(1929)

指定・認定:横浜市認定歷史的建造物

      平成12年(2000)11月

設 計:通信省営繕課(担当 中山広吉)

施 工:安藤組

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旧第一玄関

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近代下水道発祥の地 横浜「大下水」

貴重な土木遺構「大下水

大下水(おおげすい)とは、明治10年代に関内外国人居留地(現在の山下町一帯)で築造されたレンガ製の下水管のことです。

近代下水道発祥の地・横浜の歴史を物語る貴重な土木遺構といえます。

当時は、この大下水などで居留地の下水を集めて海に放流していました。卵形を逆さまにした断面は、下水の流量が少ない時でも流速を確保して、汚濁物が管底に堆積しないよう流れていく工夫がされています。

この写真は、平成8年12月に、ここ日本大通り駅の建設現場から掘り出された大下水の一部です。現在実物は中区本牧十二天の中部水再生センターに保存しています。

なお大下水より一回り小さいレンガ製下水管の実物は、横浜都市発展記念館/横浜ユーラシア文化館でご覧 になれます。

昔の下水道」レンガ造り下水道マンホール

大下水と同時期に建設されたレンガ造り下水道マンホールの原寸大模型が、横浜都市発展記念館でご覧になれます。

このマンホールは平成13年10月に日本大通り神奈川県庁前で発見されたもので、炭箱を用いた臭気対策を施しています。現在は発見場所に埋め戻されています。

また開港広場では別のレンガ造り下水道マン ホールの実物がご覧になれます。

横浜市 下水道河川局

外国郵便開始八十年記念碑
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外國郵便開始八十年記念 昭和30年1月5日

史跡 神奈川運上所跡

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神奈川運上所跡

開港にともない、関税と外交事務を扱う神奈川運上所が、今の神奈川県庁所在地に設けられ、神奈川奉行の支配に属していた。

慶応2年(1866)類焼、翌年新築、横浜役所と称した。

明治元年(1868)明治政府に移管され同5年(1872)横浜税関に改められた。

(財)横浜観光コンベンション・ビューロー 横浜市

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