週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

高尾山古墳 沼津市東熊堂

早いもので1月もあと数日。今年はまだ古墳巡りを始めていない。そこで、ブログ記事の下書きは準備したけど、まだ、行けてなくて塩漬けになっている記事を放出する。初回は沼津市の高尾山古墳。保存の方針が決定された2017年12月より前に書いた記事なので内容が少し古い。

私はまだ訪れていませんが、

保存と破壊の際にいる沼津の高尾山古墳。前方後方墳。破壊を前提とした調査で230年ごろの築造であることが判明。保存を求める声が高まるが方針が定まらない。墳長約62m。出現期の古墳としては屈指の規模。前方部、後方部ともに31m。前方部が発達している。古墳の周囲には8〜9mの周溝が巡らされていた。後方部の中央で主体部が確認された。

JR沼津駅の北2.2kmの国道1号線沼津バイパスの江原公園交差点から北に170mの都市計画道路(沼津一色南線)の建設現場に高尾山古墳はある。

沼津一色南線は1961年に都市計画決定、1996年に事業認可された。2005年に工事着手、東海道新幹線を横断する区間の工事が概ね完了している。

高尾山古墳は、1982年に沼津市の遺跡地図に辻畑古墳として登録されていて、2005年から調査が開始された。2005年から2007年の試堀調査、2008年、2009年の本格調査で、古墳時代初期の前方後方墳であることが示唆されたため、2010年から着工予定の道路工事は中断した。2014年に墳丘部の内部調査が行われた。

これらの調査から、古墳の築造は230年ごろ、埋葬されたのが250年ごろと推定された。築造が230年ごろのだとすると、定型化された最初の前方後円墳とされる纒向遺跡箸墓古墳(250年ごろの築造)よりも前に造られたことになる。

 周溝から発見された高杯。東海西部から持ち込まれたもので230年ごろの土器。

主体部の埋葬施設は木棺の直葬で、棺内からは水銀朱・銅鏡・武具などの副葬品が検出されている。

高尾山古墳の墳丘の上にあった高尾山穂見神社と熊野神社は道路工事のため2008年に隣接地に移転・再建された。

高尾山古墳(たかおさんこふん)/沼津市
高尾山古墳とは | 高尾山古墳を守る会

文献

[1] 沼津市教育委員会 2012 『沼津市文化財調査報告書104:高尾山古墳発掘調査報告書沼津市教育委員会

[2] 沼津市教育委員会 2020 『ぬまづの史跡ガイドブック沼津市教育委員会

[3] 沼津市教育委員会 2020 『沼津市文化財センターへようこそ! 遺跡から沼津の歴史を知ろう!沼津市教育委員会

[4] 沼津市教育委員会 2021 『沼津市文化財調査報告書123:高尾山古墳追加調査報告書沼津市教育委員会

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高尾山古墳 - Wikipedia

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