週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

平沢2号古墳 つくば市平沢

平沢古墳群の2号墳(開山岩屋古墳)は、共同墓地内に所在し、墓地の造成と山道で、墳丘は破壊され、原形を留めず、小規模な円墳と推定される。南に開口する横穴式石室の玄室のみが現存する。石材は、奥壁、側壁、天井石ともすべて1枚の雲母片岩の板石。玄門は2枚の逆「L」字形の板石を中央で合わせるつくりで、入り口の形状は合掌形。石室から「一字一石経」が出土。経塚として二次利用された形跡がある。

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平沢2号墳
4基が現存する平沢古墳群の1つで、通称を開山岩屋という。墳丘の規模や形は不詳であるが、横穴式石室の一部で遺体を納めた後室が現存する。入口の玄門を精美に加工する特徴から、7世紀中葉〜後半頃(古墳時代終末期)の築造が推測される。なお、この玄門の形が蓮弁を表現したもので、仏教の影響を受けているとする見解もある。
また、傍らに「法華一字一石経 雲外謹書」と刻まれた石柱が立ち、この古墳が一字 一石経塚として再利用されたことがわかる。
江戸時代にこの近くにあった東寿寺という寺院の存在を伝える遺品でもある。

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文献

[1] 筑波大学考古学研究会 1982 『平沢・山口古墳群調査報告筑波大学考古学研究会

[2] 筑波古[代]地域史研究グループ編著 1982 『筑波古代地域史の研究筑波大学

[3] つくば市教育委員会 2020「つくばの遺跡


3度目の夏

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