週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

江戸袋貝塚 川口市江戸袋、江戸

江戸袋貝塚は、旧入間川により形成された自然堤防上に位置し、沖積地に立地する貝塚として考古学上、地理学上貴重な遺跡。縄文時代後期の貝塚、集落跡。文献[2]の市内遺跡地図の番号133、時代は縄文時代後期、古墳時代前期、種別は集落跡、出土遺物・遺構は加曽利B式、五領式土器、管玉。

東光院
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川口新郷工場団地
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氷川神社
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江戸袋氷川神社 御由緒

□御縁起 (歴史) 川口市江戸3-28-22

当地は、大宮台地の南側に広がる低地にあるが、低地部には珍しく縄文時代後期の江戸袋貝塚があり、これは県最南端の貝塚である。また、地内を流れるも長堀(毛長川)は、川越付近から続く古い入間川の河道の名残で、両岸には自然堤防を著しく発達させており、この自然堤防上には、下流から上流まで古墳が群在する。当地の東光院境内においでも、古墳時代初期の方形周溝墓跡と考えられる塚状の場所から管玉・台付甕が出土している。この流域に古墳の分布が見られることは、河川を利用した文化の波及が考えられ、その拠点となった港の伊興の津(足立区)から、当地は3キロメートルしか離れていないことからみても、地名の江戸袋の名も、往時の河川交通の入り江に当たる場所にある袋状の地形をしたところから付いた名前でないかと思われる。当社は地内でも高い場所に鎮座していることや地内の有力者の墓と考えられる方形周溝墓らしいものが検出されていること、中世になると、この辺りから足立区花畑辺りを江戸荘と呼んだことからも荘内の中心的集落であったことは疑いなく、創建も古代にさかのぼって考えられる社である。

当社の祭神は素盞鳴尊で、『風土記稿』に「氷川社 村の鎮守にて東光院持、末社、 辨天社」とあり、江戸時代には真言宗古桂山東光院大山寺が当社の社務を務めていた。

江戸袋氷川神社蔵仏像(川口市指定有形文化財 彫刻)

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江戸袋の獅子舞(川口市指定無形民俗文化財)
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マンホールの蓋(川口市の花の鉄砲百合)
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川口の文化財 - 江戸袋貝塚

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文献

[1] 埼玉県 1980「新編埼玉県史 資料編 1 原始・古代 旧石器・縄文」

[2] 川口市 1986「川口市史 考古編」

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