3県境を見学後、群馬県板倉町の一峯貝塚を訪れた。板倉町海老瀬の権現沼の南に位置する一峯貝塚と北に位置する離山貝塚を合わせて権現沼貝塚群と呼ばれ、縄文海進時の縄文時代前期(約7,000年前)に営まれた。
大昔は、群馬県にも『 海 』がありました。(2)
— BANDO⌒☆ (@BANDO59322357) 2020年4月15日
群馬県南端の板倉町には、温暖な気候で6⁓7千年前に東京湾が入り込んでいました。権現沼の西の高台に離山貝塚(はなれやま)、東の高台に一峯貝塚。
平安の頃の天慶年中 (964年)、 藤原秀郷が平将門討伐の祈祷をしたとも伝わる。#平将門 #藤原秀郷 pic.twitter.com/FHHMx87lbL
本日(9/26)の離山公園の彼岸花です。蕾みも沢山ありますが、4分咲きでしょうか?
— 金さん/増田ブルーベリーファーム板倉 (@kinsan_desu) 2020年9月26日
このあたりは、離山貝塚・一峯貝塚があり、その昔は奥東京湾が古河市あたりまで来ていたようです。群馬県内唯一の貝塚のようです。
板倉町ガイドクラブのメンバーが、ご案内いたします。お気軽に声かけください。 pic.twitter.com/hhcRaqpbS4
【群馬に海があった時代】
— 群馬県立歴史博物館 (@Gunma_Rekihaku) 2022年9月25日
邑楽郡板倉町の離山(はなれやま)貝塚からは、様々な種類の貝殻が出土しています。
しかし、海無し県の群馬で牡蠣などの海に生息する貝が見つかるだなんて不思議ではないですか?
なんと…当時この地域は海が近かったのです!#実習生のオススメ #貝塚 pic.twitter.com/E9HCxbKLPU