新山2号墳は高さ1.4mの墳丘が残っていたので、周囲を発掘調査したところ、周溝を検出。一辺46mの大型の方墳と判明した(文献[4])。また、墳丘部では横穴式石室を確認。古墳時代末期(7世紀)の築造と考えられる。この地に7世紀末に創建された勝呂廃寺は、その創建に出雲系の物部直の関与が指摘されていて、方墳と出雲の関係、また、同時期に創建された千葉県龍角寺と一辺78mの大型の方墳である龍角寺岩屋古墳との関係など興味が尽きない。新山2号墳は現地を訪れても一辺46mの大きさを感じることができないのが残念。文献[1][2]では円墳とされていた。
文献
[1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」
[2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会
[3] 坂戸市教育委員会 2015 『新山古墳群3区』坂戸市教育委員会
[4] 株式会社シン技術コンサル 2020 『新町遺跡3区・4区・5区』埼玉県坂戸市教育委員会