週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

多気太郎義幹の墓 つくば市北条

多気太郎の墓と伝わる五輪塔

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裏堀
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つくば市北条(当時は多気)は、平将門の乱の平定で武名を挙げた平国繁盛(国香の次男)の子・維幹(国香の嫡子・貞盛の養子)の本拠地で、維幹は常陸大掾に任ぜられ、多気権大夫と称し常陸平氏の祖となる。維幹から6代目の義幹(多気太郎)は小田の八田知家と争い、1193年源頼朝に滅ぼされ維幹より6代続いた常陸大掾氏は滅亡した(近年では常陸平氏常陸大掾の地位を継承してきたとする考えに否定的)。八田知家常陸国守護職を得て小田城を築造、小田氏の始祖。

[常陸平氏] 平維幹(多気権大夫) → 為幹 → 重幹(繁幹) → 致幹 → 直幹 → 義幹(多気太郎)

[常陸吉田氏] 吉田清幹(繁幹の次男) → (三代略) → 馬場資幹(大掾氏の祖)

なお、平清盛を輩出した伊勢平氏は、国香の嫡子の貞盛の四男の平維衡が興した。

リンク

伝承される灯火「多気太郎万灯会」 | 子どもを育む街! つくばスタイルBlog

文献

[1] 筑波古[代]地域史研究グループ編著 1982 『筑波古代地域史の研究筑波大学

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