週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

舎人氷川神社 足立区舎人

鎌倉時代の1200年(正治2年)に大宮の氷川神社を勧請して創建したと伝わる舎人氷川神社。現在の社殿は1836年(天保7年)の建築で総けやき造り。「舎人(とねり)」とは、飛鳥時代から奈良時代に存在した名代(なしろ)の一つで、皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた。地名としての舎人は、戦国時代に舎人氏が舎人城に居を構えていたことに由来するとの説、聖徳太子が身分を隠して関東を巡行していたときに太子の正体を見破った舎人にちなんで命名したとする説、小石の多い痩せ地を表す「トネ」(石根)と、入谷や谷の奥を表す「イリ」をあわせた「トネイリ」に由来するという説などがある。付近の舎人遺跡では、足立区最古の古墳時代前期の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、古墳時代終末期の集落跡と鍛冶(かじ)工房跡、中世の火葬墓などが見つかっている。舎人は江戸時代に赤山街道の宿場として栄え、「ごぼうの市」に代表される市場町として賑わった。赤山街道は、江戸時代、関東郡代として関東地方の開発にあたった伊奈氏が、土木工事を推進する中で、拠点とした赤山陣屋(現川口市赤山)と現地との連絡や物資の輸送を目的として設けた道で、大宮道(永田陣屋まで)、越谷道(松伏町杉浦陣屋まで)、千住道(綾瀬小菅御殿まで)の3つの道筋がある。

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舎人氷川神社本殿|足立区

伊興遺跡と舎人遺跡|足立区

謎多き地名「舎人(とねり)」|足立区

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