中山神社は、武蔵一宮氷川神社と氷川女体神社を結ぶ線上のほぼ中間に位置することから、中氷川神社と呼ばれていた。
毎年12月8日に鎮火祭で炭火の上を素足で歩く特殊神事が行われる御火塚
昼に参拝したさいたま市の中山神社。
— 高橋御山人@邪神大神宮 (@jyashinnet) 2020年8月20日
かつて中氷川神社とか氷川簸王子神社とか呼ばれ、同じ市内の氷川大社、氷川女体神社とともに「氷川三社」とも呼ばれ、江戸時代に埋められて水田になった見沼に関わる一体の信仰だったという。 pic.twitter.com/hJAYcpZVmU
想像以上に巨大だった昔の見沼
— 小山芳姫@そろそろ看板命日も近いですし (@1000Roku) 2021年5月16日
見沼のほとりに大宮氷川神社・中山神社・氷川女体神社
干拓が始まったのが徳川吉宗の頃らしいのでそんなに昔ではないですねぇ~ pic.twitter.com/q4zeJp0Jfm