氷川女体神社では、かつて御船祭(みふねまつり)と呼ばれる祭礼が行われていた。御船祭は9月8日に御座船に乗せられた神輿が見沼を渡って御旅所に渡御する。芝川第一調整池の建設の際の発掘調査で、790を数える竹の突きささった跡や祭礼に伴うとみられる銭などが出土した(四本竹遺跡)。1727年(享保12年)に見沼の干拓が行われると、御船祭りは行えなくなり、新たに祭礼場を造成して、代わりの祭礼が行われるのとになった。これが磐船祭(いわふねまつり)で、祭礼場は直径30mの円形の島で、その中央に四本の竹で囲んだ斎域が設けられ、神輿が渡御した。1729年から明治初め頃まで行われた。