常陸国府跡から南東に1.2kmの位置にある愛宕神社古墳。円墳。一部削平。墳丘に愛宕神社を祀る。また、平景清を祀る景清塚とも伝わる。
「平景清公之霊地」の碑
平景清公之霊地平景清公者勇壮果敢平家武将有幾多戦功矣当所然而不欲食源家之禄遂建久七年天上焉公貫徹忠誠清廉潔白魂魄化為愛宕神而神威赫赫教導天下万民
「平景清」について調べてみた。平安時代末期から鎌倉時代初期の武士で、本名は藤原景清(ふじわらのかげきよ)、または伊藤景清。平家に仕えて治承・寿永の乱(源平合戦)において活躍して、壇ノ浦の戦いで敗れた後に捕らえられ、八田知家の邸で絶食して果てたとも伝わる。生涯に謎が多く、各地に伝説が残る。石岡市の府中六井の一つの室ヶ井の水で産湯をつかったとする産湯伝説や、愛宕神社古墳の南隣りの平等寺に供養塔が残り景清屋敷と伝わる。八田知家は常陸国の守護職を得て小田城を築造、小田氏の始祖。