墳活初めの2基目は、嵐山町の稲荷塚古墳。胴張型の複式構造の横穴式石室を持つ。側壁は結晶片岩の扁平な割り石の小口積み。奥壁と天井部は大きな一枚岩の片岩。
文献[2]によると胴張型横穴式石室について「渡来人である壬生吉志氏の一族が武蔵国に来て広めたものだという説もある」と紹介する。
嵐山町のマンホール蓋
昇寛さんの埼群古墳館別館に本古墳の石室内部の写真が公開されている。胴張型がよくわかる。
文献
[1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」
[2] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会