東を東海道線と京浜東北線、西を山手線と東海道新幹線、南を山手通りと目黒川に挟まれた三角地帯に、官営品川硝子製造所跡の碑が立つ。
近代硝子工場発祥の地の碑文によれば、1873(明治6)年に日本初の洋式の板ガラス工場「興業社」が東海寺の境内に創設されたが、経営困難により、翌年、政府が買い上げ、官営の「品川硝子製造所」となった。
石英ガラス原石
1885(明治18)年に民間に払い下げられたが、経営不振で1892(明治25)年に解散した。敷地の多くと設備は製薬会社「三共」に引き継がれ、また技術者などは「品川白煉瓦」「日本光学(ニコン)」「東京電気(東芝)」などに引き継がれた。現在、再開発中。
奥の木々の辺りが東海寺大山墓地
大井町駅西口の案内板。仙台坂遺跡から出土した品川白煉瓦の耐火煉瓦が使われている。
品川歴史館解説シート No.16 「誕生! 日本初の洋式ガラス工場」2007.4
品川白煉瓦は、1887年(明治20年)に品川硝子製造所の敷地内に設立された。品川白煉瓦の耐火煉瓦が出土した仙台坂遺跡は、陸奥国仙台藩伊達家下屋敷の北東隅で、耐火煉瓦は、1987年(昭和62年)に、大井公園内古墳のすぐ北の仙台坂トンネルの工事で発掘された。
品川歴史館解説シート No.26「発掘された大名屋敷と味噌工場 -仙台坂遺跡-」2003.11
品川白煉瓦は、2009年にJFE炉材と合併し、 品川リフラクトリーズとして存続している。