明治時代に製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原富太郎(号は三渓)が、明治時代末から大正時代にかけて造りあげた日本庭園の三渓園に奈良県の古墳から出土した石棺があると知り訪れた。
三渓園の外苑。
石棺は内苑にある。京都から移築された茶室の春草盧(しゅんそうろ)の正面にある。
春草盧。
春草盧の庭に伝、東大寺礎石、伽藍石があり驚いた。
春草盧の正面に石棺と蓋石がある。
奈良市法華寺町の海龍王寺付近から出土したと伝わる家形石棺身(5〜6世紀)。
奈良市法華寺町の法華寺付近から出土したと伝わる舟形石棺蓋(3〜4世紀)。
実は三渓園に行ったものの石棺の場所がわからず、インフォメーションでボランティアのガイドさんに声をかけ、案内していただいた。三渓園に石棺を目当ての訪問者は初めてだそうで大変驚かれた。茶室の前に石棺があるので、なぜここに石棺があるのかとの質問はよくあり、わかりませんと答えるとのこと。