生出塚(おいねづか)遺跡は古墳時代後期の東日本最大級の埴輪生産遺跡。5世紀末から6世紀末までのおよそ100年間に多種多様な埴輪が生産された。生出塚埴輪窯は、埼玉(さきたま)古墳群の専用窯で、二子山・鉄砲山・愛宕山・瓦塚・奥の山・天祥寺裏の7古墳をはじめ、白山2号墳などの近隣の小円墳群で生出塚埴輪窯産埴輪の出土が確認されている。6世紀後半を境に、埼玉古墳群の鉄砲山古墳・将軍山古墳の築造と並行して、周辺地域でも大型前方後円墳が築かれるようになると、これらの古墳にも生出塚埴輪窯産埴輪が樹立されるようになる。この時期、生出塚埴輪窯の供給圏は、荒川と元荒川の流域を超え、東京湾沿岸地域まで拡大する。
強い赤みの発色が生出塚埴輪窯産埴輪の特徴の一つで、白色粘土に含まれる鉄分が大きく影響している。
生出塚埴輪窯から出土した埴輪は鴻巣市文化センター(クレアこうのす)で見学できる。また、稲荷塚古墳(神奈川県川崎市高津区下作延)から出土した馬形埴輪が川崎市市民ミュージアムで、赤羽台4号墳(東京都北区)から出土した人物埴輪などが飛鳥山博物館で見学できる。
東裏一号公園。
鴻巣市文化センター(クレアこうのす)
生出塚埴輪窯跡出土品がきれいに生まれ変わりました!/鴻巣市ホームページ
6月9日に「いこ~」さんに教えて頂いた若松良一(2017)では、
— 秦野 秀明@「埼玉凸凹地図」絶賛発売中! (@Wpl0JWzdw688IBR) 2020年6月23日
戸田市南原古墳群出土の埴輪が、鴻巣市生出塚埴輪窯跡産と推定、
その舟運ルートとして
生出塚→現元荒川→約6km遡上→運河的河川→現荒川→南原
を想定、その舟運路を整備したのは、運河的河川沿いにある三島神社古墳の首長であると推定。 pic.twitter.com/x4YQJWRjUm
クレアこうのす歴史民俗資料コーナー。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月3日
首長が亡くなって若い2人が跡を継ぐことになった。
だけど若い2人はオシャレの大好きな若者達。
まわりはとっても心配。
兄は首長としてクニを治めなければならない。
弟は舎人として上番し大君に奉仕するのだ。
手柄をたて金ピカの馬具や甲冑を下賜されのが pic.twitter.com/BZpg2EZk7J
望み。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月3日
できれば銘文入りの太刀も欲しいものだ。
この伯父がやたら口うるさい。
実は自分が跡を継ぎたいらしい。
首長の前方後円墳の横に大きな円墳を造り始めている。
みんながどうしたものかと困っている。
密かに上毛野の王と連絡を取っているとの噂もある。 pic.twitter.com/5ZfOuNlaqv
この武人は勇者として有名です。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月3日
朝鮮半島まで遠征した話を宴会になると何回も喋りだす。
伽耶の王からもらった馬冑を王に献上した。
今回の副葬品のピカイチなのも自慢。
こんな妄想もたまにはいいかも。 pic.twitter.com/c0ou0Dno5o
縮毛の人と説明文。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月3日
考古学者は納得しないな。
この櫛描波状文の由来について語りだすはず。
箱清水とか東海とか須恵器の影響だとか。
論争は続く。 pic.twitter.com/SukLvGFwKg
だいたい8時28分(はにわ)をおしらせします。
— がちゃん|古代press |古代フェス (@kodaipress) 2022年12月11日
大阪歴史博物館の刀剣展入り口にいらっしゃった武人埴輪さん、埼玉県鴻巣市に戻ったそうです。坂東武士の地!!
立派な頭椎大刀(かぶつちのたち)に尖りまくった履き物。めちゃくちゃ強そうです。
生出塚(おいねづか)埴輪窯跡出土#はにわ時報 #古墳 pic.twitter.com/uTJi4zkNkt
これですね。 pic.twitter.com/z7KqwcHmJO
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2022年12月12日
文献
[1] 早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所 2011 『北武蔵の埴輪生産と埼玉古墳群』独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所
[2] 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2021「令和3年度企画展 運ぶ -埼玉古墳群とモノの動き-」図録