虎塚古墳を盟主とする虎塚古墳群の構成数は明確に把握されていない。虎塚古墳の他に墳丘が現存するものは円墳が2基。1基は十五郎穴横穴群(館出支群)がある崖面の直上台地に所在する小円墳(2号墳)。もう1基は、虎塚古墳の西北方約500mにある円墳(3号墳)。文献[2]によると2007年に十五郎穴横穴墓群館出支群I区墳丘(旧虎塚2号墳)の確認調査が行われ、墳丘の墳頂部で直交するように十字にトレンチを設定して、墳丘周辺の凹み部分にもトレンチを設定して調査したところ、墳丘の内部に主体部を構築した痕跡は全く検出されず、周溝内部でも検出されなかった。墳丘は径約16mの円墳形で、周溝は急斜面部側が途切れる三日月状で、周溝内覆土から出土した須恵器の破片は8世紀前半の平底の小型の甕と推測され、本墳丘は古墳ではなく館出支群I区の象徴としての墳丘の可能性が高いとして「館出支群I区墳丘」と呼称する。
虎塚古墳から十五郎穴の案内板のある小道を進む。
小道が崖を下る手前で左に獣道がある。
獣道を進む。
旧虎塚2号墳の墳丘。
ひたちなか市埋蔵文化財調査センターの駐車場の西側の畑の中に5号墳の痕跡がある。畑から石材が露出している。
ひたちなか市教育委員会が2009年に発行した「史跡 虎塚古墳 - 発掘調査の概要 -」の虎塚古墳周辺遺跡図によれば虎塚5号墳のある畑の道路を隔てた北側に下原遺跡と虎塚6号墳がある。下の写真の右手の林の手前に下原遺跡、奥に虎塚6号墳があると思われる。
青い網のあるあたりの右手から6号墳の墳丘が見えるとの情報もあり、探したが見当たらなかった。
虎塚3号墳。古くに奥壁の一部が破壊されている。凝灰岩の切石を用いて構築した横穴式石室をもつ。
虎塚4号墳。方墳。石室に使用された部田野石(へたのいし)。角礫を多く含む軟岩。
凝灰岩の下部が赤くなっており、ベンガラ(酸化第二鉄)か?
文献
[1] 茨城県ひたちなか市教育委員会 2009「史跡 虎塚古墳 -発掘調査の概要-」
[2] 公益財団法人 ひたちなか市生活・文化・スポーツ公社 2016 『(公財)ひたちなか市生活・文化・スポーツ公社文化財調査報告42:十五郎穴横穴墓群』ひたちなか市教育委員会他