径33mの横穴式石室を持つ円墳。7世紀の築造。石室は埋め戻されているため見学はできない。宮崎大塚古墳から南南東に徒歩12分。
川崎市市民ミュージアムに石室を3分の2に縮小した模型がある。
古墳は馬絹神社の裏山の頂にある。
頼朝公、袖掛の松と伝えらる御神木千年の松
文献
[1] 川崎市市民ミュージアム 1992「遺跡ガイドブック -かわさきの古墳めぐり-」川崎市市民ミュージアム
[2] 東京新聞編集局 1993「古墳を歩く」
川崎市・馬絹古墳。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年3月5日
7世紀中葉の終末期古墳。
整美な切石積横穴式石室を持つ。
今は亡き川崎市市民ミュージアムに精巧なレプリカがあった。
ウン十年ぶりに訪問。
前庭部があったかも知れない古墳の前面が削平されマンションに!
広い斜面を歩いたのは幻だったのかな。
この古墳は終末期古墳の最後の pic.twitter.com/YnLwCvFMfs
の謎古墳。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年3月5日
池上先生の論文。
南武蔵の終末期古墳は北武蔵の八幡山古墳の影響下で胴張り形石室を採用。
七世紀中葉になると上野の蛇穴山古墳の影響で方形の石室に変わるという。
この時期に大型古墳は馬絹古墳しかないのだが。
影向寺や橘評の造営に直接、関与した豪族の墳墓になるのだろう。 pic.twitter.com/FjuAJMQagR