3月16日に川崎市高津区役所橘出張所2階大会議室で開催され令和5年度 第3回橘樹学連続講座 古代橘樹を知り、活用する!! 「橘樹官衙遺跡群成立 前夜の古墳」に参加(聴講)した。「橘樹学」は、古代の役所跡や寺院跡が発見されている川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群に関連した内容をテーマに講義を行う講座で、今回は、青木敬氏(國學院大學文学部教授)・小林孝秀氏(専修大学文学部准教授)・新井悟(教育委員会事務局文化財課学芸員)を講師とし、橘樹官衙遺跡群成立前夜の「古墳」について取り上げ、どのような経緯で古代の役所を橘樹という地に設置したのか知り、古代をより身近に感じる機会として開催された。定員の倍の応募があったとのこと。
新井氏は「川崎市内における近年の発掘調査の成果から」と題して、高津区の二子塚古墳・末長向台古墳群・蟹ヶ谷古墳群・幸区の塚越古墳、宮前区の馬絹古墳を説明した。特出しの情報としては、昨年夏に高津区二子6丁目の集合住宅建設に伴う発掘調査で、古墳の周溝跡が見つかり、周溝跡から河原石と埴輪片が出土したとのこと。また、塚越古墳は、6世紀中頃から後半にかけての築造が想定され、埋葬施設の横穴式石室は南関東では初現期となる。日本書紀安閑天皇元年(534年)の記事(武蔵国造の乱)の橘花屯倉設置と時期が重なる可能性がある。現在、川崎市教育委員会は早稲田大学と市内遺跡の地下レダー探査を実施中で、馬絹古墳も調査地に選ばれている。馬絹古墳は、1971年の調査で巨大な横穴式石室の存在が確認され、墳形は円墳とされているが再検討が必要とのこと。
小林氏は「6世紀の豪族層 -橘樹の後期古墳と地域間交流の諸相-」と題して、橘樹の後期古墳を3つの視点「①横穴式石室の構造と伝播、②石材からみた交流、③埴輪からみた交流」から検討して解説した。
青木氏は「橘樹における7世紀の豪族」と題して、「①古墳から、②景観から、③官衙・寺院から」の3点に着目して、上円下方墳出現の歴史的意義、古墳時代の居宅や儀礼・祭祀空間、生産施設を分散配置から飛鳥時代の官衙に集約への変化、橘樹官衙遺跡群における土木技術の特質を解説した。上円下方墳出現の歴史的背景として、日本書紀舒明天皇11年(639年)の百済大寺の造営に「東の民」が従事したことに着目し、その後「東の民」が武蔵府中熊野神社古墳の築造に従事した可能性、舒明天皇陵とされる八角墳の段ノ塚古墳と武蔵府中熊野神社古墳の立体形の相似、上円下方墳が坂東独自の墳形で、段ノ塚古墳の八角墳から独自に草案された可能性をあげる。さらに、馬絹古墳は上円下方墳の可能性が高いとして、上円下方墳の墳丘構築技術が武蔵府中熊野神社古墳、天文台構内古墳、馬絹古墳で共通する点に着目する。また、橘樹官衙遺跡群で、建物を布堀りで囲繞する工法が継続して用いられ、渡来系の大壁建物の建築技術を受け継ぐのであれば、河内飛鳥の百済系渡来人の後裔の飛鳥部吉志(あすかべのきし)がその技術を携え、橘樹屯倉を支配するために派遣され、続日本紀神護景雲2年(768年)に白雉を献上した橘樹郡の飛鳥部吉志五百国(いおくに)がその子孫とか。
3月16日(土)に第3回橘樹学連続講座を開催します!
— 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月18日
今回の内容は #橘樹官衙遺跡群成立前夜の #古墳 です。
市内の古墳と橘樹の地との関連について第一線の研究者が語る、貴重な機会です。ぜひご応募ください。
▼詳細はホームページでhttps://t.co/MFjzCEhkpP pic.twitter.com/Uh2p2P61Xu
本講座で取り上げられた古墳
現在、川崎市教育委員会では、橘樹官衙遺跡群の史跡整備工事において、全国初となる飛鳥時代(7世紀後半)の倉庫1棟を復元、5月には公園のオープンを予定している。
2018年9月29日に神奈川県埋蔵文化財センター主催の考古学講座「考古資料・神話・伝説から古墳被葬者像を考える」(講師: 新井悟)を聴講したときにも調査中の塚越古墳のお話をお聞きした。
2019年10月に國學院大学博物館の特別展示「王権と古墳」で青木敬氏のミュージアムトーク「古墳築造技術の歴史的意義」を聴講した。
#宮前区 にある #馬絹古墳 の墳丘に、地下レーダーをかけました。#早稲田大学 の教授と学生が斜面に重たい装置を引いています。
— 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月25日
墳丘の下に眠る全長約10mの #横穴式石室 を埋戻してから32年が経ちました。
現代のテクノロジーで石室の位置を把握し、古墳の再評価が始ります。 pic.twitter.com/HhEJAfvlm0
32年前、竪坑を脚立で降りて、石室の前に立ちました。
— 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月25日
門をくぐり、ひと部屋、さらにつぎのひと部屋、さらにひと部屋と冷気のなかを進み、行き着いた玄室の天井を見上げると、 #三角隅持送り 風の仕上げになっていることに気づき感動しました(現存する自称、最年少入室体験者より)。
#宮前区 #犬蔵 の白井坂埴輪窯の #埴輪 が #高津区 #梶ヶ谷 の西福寺古墳に運ばれたことが工具痕からわかっています
— 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月26日
さらに今回は粘土の成分分析も行い、同じ粘土が使われているか調べるための準備中
今後は白井坂の他の埴輪の粘土も調べ、他の場所から出土した埴輪との仲間さがしに備えます pic.twitter.com/afpZwCc1hK
神奈川県指定史跡の #馬絹古墳 は、横穴式石室に設置した機器で、約30年前から毎日温度や石室の変位等を計測しています。
— 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年3月8日
今年度最後のデータ回収は、3月に行いました。
年4回、計測データを計測機器からPCに回収し、貴重な古墳の石室に万が一が無いよう、保存状態の把握を行っています。 pic.twitter.com/qN4AsA8pAk