週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

煉瓦(レンガ)

堀之内氷川神社 足立区堀之内

堀之内氷川神社に煉瓦造の祠がある。堀之内氷川神社の創建は不詳だが、堀之内村が宮城村から分村した江戸時代に村の鎮守社として創建したものと推定されている。 本殿基礎も煉瓦 神社裏の工場をよく見たら、正面の壁や柱は煉瓦造だった。 足立区の保存樹木の…

熊之木圦(熊の木ひろば) 足立区江北

首都高速川口線の江北ジャンクションの近くにある熊の木ひろばに、熊之木圦(いり)がある。明治時代には、神領堀(じんりょうぼり)の水を熊之木圦から旧荒川(今の隅田川)に落としていた。戦後、神領堀の護岸工事で、熊之木圦は埋められていたが、神領堀緑道と…

足立区新田の蔵 足立区新田

足立区新田に2つの煉瓦造の蔵が残る。 文献[1]で松下光七氏所有と紹介されている蔵 文献[1]で茂出木慶三氏所有と紹介されている蔵 文献 [1] 足立区立郷土博物館 1992「炎のなかから生まれた近代 文明開化とあだちの煉瓦」 にほんブログ村

立教大学の煉瓦造建物群 豊島区西池袋

立教大学の前身の立教学校は、1874年(明治7年)に築地で米国聖公会系の一私塾として開校した。1918年(大正7年)に池袋の現在の地に移転。ゴシックリバイバル様式の煉瓦造建物が当時の姿で残る。 立教大学正門 本館(モリス館)。宣教師アーサー・ラザフォード・…

新永間市街線高架橋(その3) 千代田区有楽町

新永間市街線高架橋の続き。有楽町駅国際フォーラム口の北側から東京駅まで。 有楽稲荷神社 有楽町駅国際フォーラム口 第3有楽橋架道橋 この辺りはイギリス積み 第4有楽町橋高架橋 鍛冶橋架道橋 鍛冶橋寄高架橋。ここより北では煉瓦高架橋は見ることができな…

新永間市街線高架橋(その2) 港区新橋

新永間市街線高架橋の続き。新橋駅西口の北側から有楽町駅まで。 新橋駅西口広場(SL広場)。平日の夕方。たくさんのサラリーマン。 お盆休みの猛暑日の昼間。人がいない。 二葉橋架道橋。3径間ゲルバー鉄桁橋。 二葉橋架道橋から幸橋架道橋までが二葉町橋高架…

新永間市街線高架橋(その1) 港区新橋

JR東日本の東京駅のやや北から新橋駅の南まで山手線と京浜東北線は1910(明治43年)完成の煉瓦アーチ式高架橋の上を走る。この区間は建設当時、浜松町付近の「新銭座」と、東京駅北側の「永楽町」を結んだことから「新永間市街線」と呼ばれた。新銭座と永楽町…

船路橋 港区芝浦

JR田町駅から徒歩12分の芝浦西運河に架かる船路橋。 平行してモノレールが走る 二重円に「電路」の文字とタービンのマークの刻印のある煉瓦が埋め込まれている。内円のタービンのマークは東京市電氣局の徽章。 大正から昭和にかけて、この場所に都電の修理工…

渋沢栄一の墓 台東区谷中

谷中霊園の乙11号1側の渋沢家墓所に渋沢栄一の墓がある。渋沢栄一は「近代日本経済の父」とか「日本資本主義の父」とされる。煉瓦巡りでは渋沢栄一は避けては通れない。渋沢家の家風か、背面を除いて囲いもなくオープンな墓所。 左から2番目が渋沢栄一の墓 …

妻木頼黄の墓 台東区谷中

寛永寺谷中第一霊園のB2の区画に妻木頼黄(つまきよりなか)の墓がある。妻木頼黄は横浜赤レンガ倉庫の設計者。東京駅を設計した辰野金吾のライバルとされる。寛永寺谷中第一霊園は谷中霊園の中に飛び地のようにある。 「墓地」の標石(境界石) 向かいには谷中…

芋坂の近くのガンタ積み 台東区谷中

谷中霊園の芋坂の近くにガンタ積みの擁壁がある。モルタルで補強されていた。 芋坂 芋坂跨線橋から日暮里駅 羽二重 団子本店 「王子街道」の道標 にほんブログ村

谷中霊園の煉瓦 台東区谷中

谷中霊園に煉瓦を積んだ墓がある。 脇には煉瓦が敷かれている 刻印も見つかる。丸にサ? 丸に「サ」の字の刻印は、神田駿河台の松山堂の蔵の煉瓦でも見つかる。 あとはよくわからない 近くでスクラッチタイルを貼った柱で囲われた墓を見つけた。 天王寺の大…

松山堂の蔵と煉瓦 千代田区神田駿河台

神田淡路町二丁目にあった「松山堂の蔵」の小屋組など既存部材を再利用して復元した蔵が、御茶ノ水ソラシティの脇にある。ギャラリーとして活用されている。 脇に「松山堂の蔵」の記憶を継承する目的で、蔵から切り出した煉瓦壁を展示している。 丸に「サ」…

岩崎邸・三菱社の煉瓦 千代田区神田駿河台

御茶ノ水ソラシティに「岩崎彌之助邸跡」の碑がある。彌之助は三菱財閥の創始者の岩崎彌太郎の弟。1872年(明治5年)、21歳で米国に留学。翌年、父の急逝で兄に懇願され帰国。三菱商会に入社。翌年、後藤象二郎の長女の早苗子と結婚。元後藤の家だった駿河台東…

旧万世橋駅 千代田区外神田

1906年(明治39年)に国有化された甲武鉄道(中央本線)は、1912年(明治45年)に万世橋駅が開業して昌平橋駅の間の320mを延伸(昌平橋駅は廃止)。初代の万世橋駅舎は、辰野金吾の設計で万世橋高架橋と一体的につくられた煉瓦構造物である。中央本線は1919年に東京…

東京第二陸軍造兵廠王子工場の標石 北区王子

東京国税局王子税務署の西の通りに東京第二陸軍造兵廠王子工場(板橋火薬製造所王子工場)の標石(境界石)が残る。 「陸軍」の文字が刻まれている。よく見たら、隣の段差スロープにローマ字でことわざが書かれている。 塀に沿って鍰煉瓦(からみれんが)が並ぶ 近…

北区立中央図書館 北区十条台

陸上自衛隊十条駐屯地の東に隣接する北区立中央図書館は、1919年(大正8年)に東京砲兵工廠銃包製造所の弾丸鉛身場として建設された煉瓦造平屋の建物(275号棟、通称は赤レンガ倉庫)を、2008年(平成20年)にガラスを取り入れた近代建築と融合した図書館としてリ…

憲兵の詰所(?) 北区滝野川

北区の豊島五丁目団地にかつて、国鉄の東北本線貨物支線(通称:須賀線)の貨物駅の須賀駅があった。終戦まで、須賀駅から延びた軍用貨物線は、東京第一陸軍造兵廠十条工場内に入り、そこから南の東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の方に続いていた。この終点付近に…

常行寺の煉瓦造御堂 品川区南品川

海徳寺の南の常行寺には煉瓦造の御堂が残る。 にほんブログ村

海徳寺の煉瓦塀 品川区南品川

目黒川に隣接する海徳寺の塀の一部に煉瓦塀が残る。 軍鑑千歳殉難者之碑。1906年(明治39年)、品川沖に停泊していた軍艦 千歳に渡る伝馬船が突風を受けて転覆。乗組員ら83人が死亡。海徳寺に弔われた。 王さんが巨人軍の選手のときに、ホームラン記録達成ごと…

品川学園の煉瓦塀 品川区北品川

品川区立品川学園に煉瓦塀が残る。長手積み。 品川学園を会場として開催される品フェスのポスター にほんブログ村

小野稲荷の煉瓦塀 品川区南品川

京急新馬場駅付近に残る煉瓦を巡った。この辺りは、先日、天竜寺の煉瓦塀とか、日本ペイントの明治記念館、官営品川硝子製造所跡などを訪れている。まずは天竜寺の裏の小野稲荷。小野稲荷の奥の小野運輸店と首都高中央環状品川線の南品川換気所の敷地境に煉…

六郷神社と六郷橋 大田区東六郷、仲六郷

六郷水門の帰りは京急の六郷土手駅まで歩いた。 途中で見つけたアンティーク風煉瓦 三和耐火煉瓦? 明知耐火煉瓦? 大阪耐火煉瓦? 昭和耐火? 昭和窯業? 六郷神社 1910年架橋の六郷橋の親柱 旧東海道跡 北野天神 1925年架橋の六郷橋の橋門と親柱 1984年架…

六郷水門 大田区南六郷

京急の雑色駅から水門通り商店街で徒歩14分。多摩川の川崎河港水門の少し下流の対岸に六郷水門がある。 南六郷緑地 六郷水門を模したトイレ 東屋 雑色運河 六郷水門と煉瓦造の排水機場 煉瓦造の排水機場 六郷水門 六郷水門 大田区 にほんブログ村

羽田レンガ堤 大田区羽田

京急大師線の川崎大師駅から2駅先の産業道路駅で下車して、産業道路を北に進むと、多摩川右岸の土手に「羽田の渡し」の碑がある。地元では「六左衛門の渡し」と呼んだ。1939年(昭和14年)に大師橋の開通で廃止された。 首都高神奈川横羽線K1の高速大師橋の更…

川崎河港水門 川崎市川崎区港町

多摩川右岸、海より5Km地点にある川崎河港水門。大正末期に計画された「幻の大運河計画」の遺産。鉄筋煉瓦を併用した鉄筋コンクリート造。 動画を自撮りしていた。YouTuberか? あとで、この場所がある事件の現場と知る。 味の素グループうま味体験館 京急大…

京急大師線の煉瓦擁壁 川崎市川崎区旭町

京急大師線の京急川崎駅と鈴木町駅の間に残る煉瓦擁壁。猫が気になってよく観察できなかった。 すぐ近くには煉瓦塀も残っている。 にほんブログ村

南元町の空き地の煉瓦擁壁 新宿区南元町

先ほどの駐車場から東に徒歩3分の空き地にも煉瓦擁壁が残る。この空き地に建物が建てられたら、この煉瓦擁壁は見えなくなるであろう。 向かいのお家 にほんブログ村

信濃町の駐車場の煉瓦塀 新宿区信濃町

信濃町煉瓦館から北に徒歩4分の駐車場に煉瓦塀が残る。信濃町に本部を構える宗教団体の駐車場。この団体も三色旗をシンボルとしている。 にほんブログ村

信濃町煉瓦館 新宿区信濃町

信濃町駅前の慶應義塾大学病院の手前に信濃町煉瓦館がある。 小口にハングル文字の刻印が見つかる。建設途中で放置されていた韓国の煉瓦を活用したらしい。 このビルは慶應義塾大学医学部食養研究所の跡地に建てられた慶應病院と第一生命の共同ビル。 慶應病…