埼玉県選定重要遺跡
中新里(なかにいさと)諏訪古墳。前方後円墳。全長約41m、高さ3.5m。6世紀中頃の築造。前方部を南に向ける(N-177°-W)。盾型の周溝。後円部の周溝幅は最大4.5mで、前方部の周溝は明瞭でない。1935年ごろに大々的に盗掘された。馬具、直刀、勾玉などが出土した…
神明貝塚は、奥東京湾(おくとうきょうわん)最北部の汽水域に形成された縄文時代後期前半の馬蹄形貝塚(ばていけいかいづか)を伴う集落遺跡の中でも最大級の規模を持つ遺跡。集落域と貝層がほぼ全体が良好な状態で保存されている。今年3月の官報で文部科学大臣…
埼玉県教育委員会と蓮田市教育委員会が連名で平成15年に設置した関山貝塚(せきやまかいずか)の説明板は日に焼けて文字が褪せて全く読めない。関山貝塚は関山式土器の標式遺跡。関山式土器は縄文時代前期前半(約6,500~6,000年前)の土器型式の一つ。関山貝塚…
平成27年度から整備事業を実施していた蓮田市の黒浜貝塚は令和元年度の第5期整備事業が完了して、今年5月(?)からひっそり史跡内を自由に見学できるようになっていた。黒浜貝塚は、縄文時代前期中葉の黒浜式土器の標式遺跡。 椿山のムラ 湧水地 宿浦のムラ …
和名湖の北側斜面一帯は多くの埴輪が発見されることで知られていた。1974年(昭和49年)の発掘調査で4基の埴輪を焼いた登り窯跡が見つかたった。1987年(昭和62年)にはさらに1基の窯跡が確認され保存されている。未発見の窯跡も含め和名埴輪窯跡群は県内有数の…
山の根古墳群の山の根1号墳は、吉見丘陵南端の尾根の上に、前方部を南に向け、三ノ耕地遺跡のある沖積低地を見下ろすように立地する。前方後方墳。墳長54.8m。墳丘は地山の削り出しと、盛り土で形成。4世紀前葉の築造。三ノ耕地遺跡の墳墓群との連続性が想定…
大谷瓦窯跡は瓦を専門に焼いた奈良時代後期(7世紀後半)の頃の窯跡。雑木林に包まれた丘の傾斜を利用した全長約7mの半地下式の登り窯。平瓦、竹瓦、蓮花文様のある瓦当(がとう)などが出土。 大谷瓦窯跡/東松山市ホームページ 大谷瓦窯跡 文化遺産オンライン…
三千塚古墳群の第8支群が分布する通称「比丘尼山」の南斜面に分布する比丘尼山横穴墓群。笹が生い茂り、開口する3基を見つけるのも容易でない。 「比企地方に移住した渡来系氏族の壬生吉志(みぶきし)氏との関わりあいのある墓制とも考えられています。」と説…
北部比企丘陵の尾根上、標高90mに立地する雷電山古墳(らいでんやまこふん)。三千塚古墳の主墳。帆立貝形古墳。全長80m。三段築成。三段目が盛土で、一・ニ段目は地山を削り出して造られている。5世紀初頭の築造。後円部に大雷神社を祀る。周囲は川越カントリ…
春日部市とさいたま市岩槻区の境が入り組む大宮台地慈恩寺支台に花積貝塚がある。縄文時代前期から中期の貝塚。「花積下層式土器」の標式遺跡。台地上には耕作地が残るが台地下は宅地が広がる。 北東方向の眺め 南西方向の眺め 以前、春日部市郷土資料館で「…
東松山柏崎郵便局裏の竹林の中にある雷電塚古墳(柏崎14号墳)。円墳。 南から 東から 竹林の中の墳丘 北から 南西から にほんブログ村
セブンイレブン東松山柏崎店の北にある柏崎11号墳。 西から 北西から 北から、ここからだと墳丘は見えない。 東から 南から 柏崎11号墳の北西に紛らわしいマウントがある。 柏崎11号墳の東にある天神山古墳 柏崎11号墳の北西の道路脇に道路に分断されたよう…
柏崎古墳群のおくま山古墳(柏崎1号墳)の東にある柏崎3号墳。円墳。径14.8m。 おくま山古墳。前方後円墳。全長62m。 おくま山の後円部墳頂から東の柏崎3号墳を望む。建物の屋根の上に見える。 おくま山古墳は昨年春に訪れたが、そのときは柏崎3号墳に気付かな…
栢間(かやま)古墳群の栢間七塚と呼ばれる古墳うちの一基。富士塚古墳。方墳。一辺10m。 墳頂の石碑には蚕影大神(蠶影大神)、木花咲耶姫、豊受姫神(豐受姫神)と刻まれている。 逆光で刻まれた文字は読めず。 にほんブログ村
滝の城横穴墓群は、柳瀬川左岸の崖に列を成して存在し、現在までに9基が確認されている。 滝の城の本丸跡に城山神社を祀る。 1976年、滝の城跡の土塁の保護工事で斜面を掘削したところ、人骨と金環が出土。調査を中断して発掘調査が行われた。 所沢市立埋蔵…
旭・小島古墳群の万年寺八幡山古墳に隣接するつつじ山古墳。方墳。 東から。 南から。 にほんブログ村
旭・小島古墳群の万年寺八幡山古墳は、万年寺ふれあい公園の隣、万年寺自治会館の裏にある。隅丸方形古墳。 南西から。左手前の建物が万年寺自治会館。 西から。 北から。右が万年寺ふれあい公園。 北東から。 文献 [1] 宮川進 1997「さきたま古墳めぐり」さ…
べったら塚古墳から北西に徒歩20分、荒川左岸の自然堤防の上にある三嶋神社古墳。前方後円墳。全長55m。後円部径30m。墳丘上に三島神社を祀る。 説明板には「墳丘主軸をほぼ南北に置き、北側が後円部、南側が前方部と考えられる。」と書かれているが、前方部…
諏訪山7号墳。円墳。諏訪山29号墳の西側の畑隅にある。 諏訪山8号墳。円墳。諏訪山7号墳の北側の道路隅にある。 諏訪山9号墳。円墳。径12.5m。諏訪山8号墳の西側に隣接。 諏訪山10号墳、13号墳、52号墳は諏訪山9号墳の西側に隣接する林の中にある。円墳。10…
東武伊勢崎線の羽生駅北の踏切のすぐ隣の毘沙門堂の境内にある毘沙門山古墳。前方後円墳。全長63m。高さ4.5m。前方部を西に向ける。1903年、東武鉄道伊勢崎線の路線敷設のため、前方部西側の一部が切り取られた。この工事中に埴輪片が発見されている。6世紀…
加須低地の江戸時代に開拓された町屋新田の田園の中にポツリと浮かぶ鶴ヶ塚古墳。すぐ南を子手堀川が流れる。天照皇大神が祀られている。どこが墳丘なのかはっきりしないが径15m、高さ3mの円墳とのこと。 大松は枯れて伐採されたとのこと。 すぐ西に十九夜塔…
樋遣川(ひやりかわ)古墳群の稲荷塚古墳。円墳。径25m、高さ2m。浅間塚に比べるとずいぶん低い。墳頂に稲荷社を祀る。 西から。稲荷塚は浅間塚から真西に100m。 南から。 石造物。 南から浅間塚(左)と稲荷塚(右)。 文献 [1] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり…
樋遣川(ひやりかわ)古墳群の浅間塚古墳。円墳。径24m、現在の高さ5m。墳頂に浅間社を祀る。浅間塚として後世に土盛りがされた。 南から。 墳頂から見下ろす。 石造物。 東から。 文献 [1] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会 にほんブログ村
樋遣川(ひやりかわ)古墳群は江戸時代には「樋遣川の七塚」といわれ、7つの塚があったとされる。現在は御室塚、浅間塚、稲荷塚の3基が残る。 御室塚(みむろづか)古墳。円墳。径40m、高さ5m。樋遣川古墳群では最大規模。墳頂上に御室社(みむろしゃ)を祀る。 南…
久しぶりに涼しさが戻って来たので古墳巡り。江戸川右岸の宝珠花台地に、かつては20数基で形成していた目沼古墳群。今は目沼浅間塚古墳(目沼10号墳)が1基のみ残る。1991年の調査で全長46mを超える前方後円墳(帆立貝形古墳)で後円部径30.4m、高さ5mとされた。…
さいたま市立大宮西高校の校庭にある古墳。円墳。径35m。高さ5.9m。6世紀中頃。茶臼塚古墳から北に徒歩5分。 稲荷塚古墳から出土とした埴輪と勾玉はさいたま市立博物館で見学できる。 稲荷塚古墳 - さいたま市立大宮西高等学校 さいたま市/文化財紹介 側ヶ…
おくま山古墳から北東に約1kmの権現塚古墳(柏崎12号墳)。円墳。径38m。周溝から鳥形埴輪が出土している。5世紀末の築造。 墳頂。かつては権現様が祀られていた。 文献 [1] 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2017「埼玉の古墳 1 比企・入間」 にほんブログ村
おくま山古墳から北に約500mの天神山古墳(柏崎10号墳)。前方後方墳。全長57m。かつては前方後円墳とされていたが1990年の古墳詳細分布調査で前方後方墳と判明。4世紀前期末葉から中頃の築造。耕作と宅地化でかなり削られている。 文献 [1] 埼玉県立さきたま…
北里研究所メディカルセンター病院の前、看護学校の前庭の中にある八重塚2号墳。かつては円墳と考えられていたが、方墳の可能性が指摘されている。東西約30m、南北約22m。高さ1.7m。6世紀末から7世紀初頭の築造。八重塚古墳群は4基が確認されている。現在、…
松山台地東南端、新江川をのぞむ舌状台地上に所在する根岸稲荷神社古墳は、1990年の古墳詳細分布調査で前方後方墳と判明。一辺20mの後方部の墳丘上に稲荷神社が祀られている。前方部は東に向き先端は不明。くびれ部幅は約7m、前方部の長さは5m以上。周溝から…