イギリス積み
石岡市で見かけた煉瓦の建造物。 石岡の陣屋門の斜向かいの駐車場の煉瓦塀。ふるさと歴史館で尋ねたら元は酒屋があったとのこと。その名残で駐車場の中央に井戸が残る。 (追記:2023/12) 石岡の陣屋門の斜向かいの煉瓦塀があった駐車場は、石岡明照保育園の駐…
大番児童遊園の奥のJR中央線の基礎の部分に煉瓦造の擁壁。 四谷第六小学校 伝沖田総司逝去の地 にほんブログ村
国立能楽堂の近くの駐車場の隅にポツンと煉瓦造の蔵が残る。 にほんブログ村
山手線の煉瓦造の裏参道ガード。 青山街道ガード 山手貨物線3番「うまやみち踏切」を相鉄の試運転が通過。相鉄は11月30日に相鉄・JR直通線(相鉄新横浜線の西谷~羽沢横浜国大間)を開業する。 にほんブログ村
象の鼻パークと赤レンガ倉庫を結ぶ新港橋梁の橋台と護岸が煉瓦造。新港橋梁は、もともとは1912年(大正元年)に建造された貨物線(横浜臨港線)の鉄道橋で、国産トラス橋(100フィート・ポニー型ワーレントラス橋)。 水陸両用バス スカイダック 新港橋梁 横浜市 …
横浜赤レンガ倉庫は、明治政府によって保税倉庫として建設された。2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工。大蔵省臨時建築部が設計。部長は妻木頼黄。明治建築界三巨頭の一人。 横浜大桟橋から、左手前が1号館、右奥が2号館。 開港の丘から…
神保町の山形屋紙店の裏にある三階建の煉瓦造の蔵。大正元年建築。 近くのスクラッチタイル貼りの旧相互無尽会社。 たまにはさくら通りでも…と写真を✨撮りに行ったら……来月9月7日から解体工事がはじまるとお報せが貼ってあってこれ、神保町で働いている人間…
駒込駅東口のすぐそばにある中里用水架道橋に煉瓦造橋台が残る。 かつて、ここには谷田川(谷戸川)が流れていた。谷田川通りの名が残る。 別の日の夕刻 駒込駅東口 にほんブログ村
ネットで「北区 煉瓦」をキーワードに検索していたら、「北区豊島」とキャプションされた煉瓦蔵の写真を見つけた。Google Mapの航空写真とStreet Viewで探したら、昨日のブログ記事の煉瓦蔵を見つけた。写真の煉瓦蔵とは塀が異なる。北区豊島でリアルに歩い…
紀州通りの煉瓦造の蔵がある邸宅。 豊島にはかつて斎藤煉瓦製造工場があった。 にほんブログ村
東京化成工業 王子研究所の「関係者以外立入禁止」とある入口に煉瓦塀の門柱が見える。煉瓦塀は植木に阻まれて見えない。 裏の隅田川沿いの歩道から、隙間から煉瓦塀が見える。 角度を変えると 90mほど西のアパートの脇に煉瓦塀が残る。 裏の隅田川沿いの歩…
日本赤十字看護大学の広尾キャンパスにある煉瓦造の校門 救援のために水を運ぶ婦人の像 医療センターの入り口付近に復元された煉瓦塀 煉瓦造の花壇 「桜のつぼみ」の刻印 丸の中に「九」の刻印 小菅集治監の桜花章(複弁桜花章b種?)の刻印 丸の刻印 「桜のつ…
聖心女子学院(初等科・中等科・高等科)の煉瓦塀。 広尾の聖心女子大学には古墳がある。 にほんブログ村
外苑西通りから東京大学医科学研究所裏の坂道に入ると煉瓦造の擁壁がある。擁壁の上の塀は工事中? 塀の向こうは看護師宿舎。 にほんブログ村
東京大学医科学研究所の近代医科学記念館から南西に約100m、目黒通り(都道312号)から坂道を約60m下ったところに煉瓦造の擁壁がある。 東京大学医科学研究所 近代医科学記念館 ネットで、ここに白金三光支流と呼ばれる川があって今は暗渠になっているという情…
岩倉具視の墓がある海晏寺(かいあんじ)。焼き過ぎ煉瓦の門。 刻印が見つかる。「チ」と「九」? 千葉煉瓦? 「チ」と「二」? 千葉煉瓦? 「チ」と「三」? 千葉煉瓦? (右) 梅と「タ」? 田中煉瓦? 旧仙台坂(くらやみ坂) タブノキ 仙台坂トンネル 仙台味噌…
東海道品川宿の本陣跡。1872年(明治5年)に宿駅制度が廃止された後は警視庁品川病院が建てられた。病院は東品川に移転。1938年(昭和13年)に区立聖蹟公園として整備された。場所は、山手通りと八ツ山通りの交差点近く。聖蹟公園の名は1868年(明治元年)の明治天…
御殿山下台場砲台跡地の品川区立台場小学校に、台場跡から見つかった石垣を使った記念碑が建つ。台場小学校の名は台場砲台に因む。 正和稲荷神社 山手通り近くの駐車場の境に煉瓦塀 にほんブログ村
北品川の煉瓦巡り。京急の北品川駅で下車して、第一京浜(国道15号線)を南に歩く。まず、目に付いたのがガレージ横の塀。上部に煉瓦を3段積んである。 刻印? よく見ると奥に煉瓦造の蔵。 京急の高架下の駐車場の塀がフランス積みの煉瓦塀。塀の向こうに煉瓦…
吉野石膏の東京工場の駐車場の塀越しに煉瓦造建物の一部と思われる壁が残る。 にほんブログ村
首都高速川口線の江北ジャンクションの近くにある熊の木ひろばに、熊之木圦(いり)がある。明治時代には、神領堀(じんりょうぼり)の水を熊之木圦から旧荒川(今の隅田川)に落としていた。戦後、神領堀の護岸工事で、熊之木圦は埋められていたが、神領堀緑道と…
足立区新田に2つの煉瓦造の蔵が残る。 文献[1]で松下光七氏所有と紹介されている蔵 文献[1]で茂出木慶三氏所有と紹介されている蔵 江北地区|足立区 文献 [1] 足立区立郷土博物館 1992「炎のなかから生まれた近代 文明開化とあだちの煉瓦」 [2] 佐藤貴浩 202…
新永間市街線高架橋の続き。有楽町駅国際フォーラム口の北側から東京駅まで。 有楽稲荷神社 有楽町駅国際フォーラム口 第3有楽橋架道橋 この辺りはイギリス積み 第4有楽町橋高架橋 鍛冶橋架道橋 鍛冶橋寄高架橋。ここより北では煉瓦高架橋は見ることができな…
新永間市街線高架橋の続き。新橋駅西口の北側から有楽町駅まで。 新橋駅西口広場(SL広場)。平日の夕方。たくさんのサラリーマン。 お盆休みの猛暑日の昼間。人がいない。 二葉橋架道橋。3径間ゲルバー鉄桁橋。 二葉橋架道橋から幸橋架道橋までが二葉町橋高架…
JR東日本の東京駅のやや北から新橋駅の南まで山手線と京浜東北線は1910(明治43年)完成の煉瓦アーチ式高架橋の上を走る。この区間は建設当時、浜松町付近の「新銭座」と、東京駅北側の「永楽町」を結んだことから「新永間市街線」と呼ばれた。新銭座と永楽町…
谷中霊園の乙11号1側の渋沢家墓所に渋沢栄一の墓がある。渋沢栄一は「近代日本経済の父」とか「日本資本主義の父」とされる。煉瓦巡りでは渋沢栄一は避けては通れない。渋沢家の家風か、背面を除いて囲いもなくオープンな墓所。 左から2番目が渋沢栄一の墓 …
御茶ノ水ソラシティに「岩崎彌之助邸跡」の碑がある。彌之助は三菱財閥の創始者の岩崎彌太郎の弟。1872年(明治5年)、21歳で米国に留学。翌年、父の急逝で兄に懇願され帰国。三菱商会に入社。翌年、後藤象二郎の長女の早苗子と結婚。元後藤の家だった駿河台東…
1906年(明治39年)に国有化された甲武鉄道(中央本線)は、1912年(明治45年)に万世橋駅が開業して昌平橋駅の間の320mを延伸(昌平橋駅は廃止)。初代の万世橋駅舎は、辰野金吾の設計で万世橋高架橋と一体的につくられた煉瓦構造物である。中央本線は1919年に東京…
陸上自衛隊十条駐屯地の東に隣接する北区立中央図書館は、1919年(大正8年)に東京砲兵工廠銃包製作所(1940年に東京第一陸軍造兵廠十条工場に改組)の弾丸鉛身場として建設された煉瓦造平屋の建物(275号棟、通称は赤レンガ倉庫)を、2008年(平成20年)にガラスを…
目黒川に隣接する海徳寺の塀の一部に煉瓦塀が残る。 軍鑑千歳殉難者之碑。1906年(明治39年)、品川沖に停泊していた軍艦 千歳に渡る伝馬船が突風を受けて転覆。乗組員ら83人が死亡。海徳寺に弔われた。 王さんが巨人軍の選手のときに、ホームラン記録達成ごと…