週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

火の見塚古墳 深谷市原郷

火の見塚古墳は、径20mの昭和25年に家屋新築により半壊され、石槨が発見されるとともにほぼ完全な形態の頭骨が出土した。頭骨は東京大学に保管されている。 深谷市遺跡地図に未登録の古墳? 深谷市遺跡地図に未登録の古墳? 稲荷町北古墳(深谷市遺跡地図のNo…

木の本12号墳 深谷市原郷

木の本古墳群の12号墳。文献[1]では径13mの円墳。「天神塚」あるいは「天神山」とよばれる。墳頂に社が鎮座している。墳丘の周囲に横穴式石室の存在を石材がある。 深谷市遺跡地図に未登録の古墳? リンク 史跡/深谷市ホームページ 文献 [1] 埼玉県教育委員…

木の本10, 11号墳 深谷市原郷

木の本10号墳は、1993年に埼玉県内所在古墳詳細分布調査に伴い発掘調査が行われ、墳丘相似形に周堀が巡る帆立貝形古墳または造出し付き円墳で、全長約41m、後円部径約34m、前方部幅約10〜12m、前方部長約7m。多量の円筒埴輪片、女子人物埴輪頭部・馬形埴輪片…

木の本8号墳 深谷市東方

木の本古墳群の8号墳。文献[1]では径10mの円墳。 深谷市遺跡地図のNo.116無名墳 リンク 史跡/深谷市ホームページ 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 大里」さきたま出版会 にほんブログ村

木の本7号墳 深谷市原郷

木の本古墳群の7号墳。1998年(平成10年)に都市計画道路北通り線の工事に伴う確認調査で、道路予定地に含まれる周溝の約1/3を調査したが後世の撹乱で依存状態は良好とは言えず、また、所有者のご協力でマウント部分の測量を実施、高さ約1.6m、径約12m、周溝か…

木の本5号墳 深谷市東方

木の本古墳群の5号墳。文献[1]では径15mの円墳、横穴式石室か、石材ありとされる。文献[2]によると明治時代初期に大刀、刀子および耳環が出土しているという。深谷市のサイトでは「明治時代初頭に太刀・刀子等出土、頂部に祠、石碑の原材は石室の蓋と伝わる…

木の本4号墳(おとか塚) 深谷市原郷

木の本4号墳は、平成2年に個人住宅建設工事に伴い、墳丘北脇部の調査が実施されたが、周溝、埴輪、版築等の古墳に関する遺構、遺物は検出されなかった。墳丘上に稲荷神社を祀る。文献[2]では径5mの円墳。 リンク 史跡/深谷市ホームページ 文献 [1] 深谷市教…

木の本3号墳と煉瓦塀と土塁 深谷市原郷

木の本3号墳は、平成16年(2004年)12月に所有者から深谷市に寄付され、平成17年度の確認調査で、木の本古墳群で初めて石室が調査された。文献[1]では、径25mの円墳。 土塁(市指定史跡 木の本塁跡) 古墳(右)と土塁(左) リンク 史跡/深谷市ホームページ 文献 […

木の本2号墳(地蔵山) 深谷市原郷

木の本古墳群の2号墳。文献[1]では径20mの円墳。横穴式石室と埴輪を検出。 リンク 史跡/深谷市ホームページ 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 大里」さきたま出版会 にほんブログ村

木の本1号墳(妙見山) 深谷市原郷

昨年11月に開催された木の本9号墳の発掘調査の現地説明会のときに木の本古墳群を探索した。 木の本古墳群の1号墳。文献[1]では径35mの円墳。横穴式石室と埴輪を検出。 リンク 史跡/深谷市ホームページ 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布…

広瀬4号墳 熊谷市広瀬

広瀬古墳群の4号墳。径25mの円墳。文献[1]の熊谷市の「No.92古墳」で墳丘上に天神神社を祀る。 右が宮塚古墳、左が広瀬2号墳、真ん中の茂みが文献[1]の熊谷市のNo.89古墳(規模不明の方墳)。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」…

広瀬2号墳 熊谷市大麻生

広瀬古墳群の2号墳。規模不明の円墳。文献[1]の熊谷市の「No.90古墳」。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

宮塚古墳 熊谷市広瀬

昨年11月に開催された深谷市の木の本9号墳の発掘調査の現地説明会の前に、熊谷市の宮塚古墳とその周辺の古墳を探索した。 まずは、熊谷市教育委員会の説明板では上円下方墳とされている広瀬古墳群の宮塚古墳。国指定史跡。 文献 [1] 埼玉県 1982「新編埼玉県…

大類7号墳 毛呂山町川角

坂戸市善能寺の善応寺に立ち寄ったら、参道の東側に墳丘らしきものを発見。この方向に大類6号墳、7号墳があるはずで、場所的には大類7号墳だろうか?大類7号墳は径16〜18mの円墳。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野…

塚原14号墳 坂戸市小山

坂戸市の塚原古墳群で1基だけ西に外れて所在する塚原14号墳。径28mの円墳。現在は墓地になっていて墳形はよくわからない。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほん…

塚原5, 6号墳 坂戸市善能寺

毛呂山町の大類古墳群と坂戸市の塚原古墳群を併せて苦林(にがはやし)古墳群と呼ぶ。塚原古墳群もちょっとだけ探索した。 塚原5号墳(円墳、径9m、葺石) 塚原6号墳(円墳、径12m、葺石) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩…

大類37号墳 毛呂山町大類

大類古墳群の中で1基だけ孤立している37号墳。文献[1]によると径15mの円墳。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほんブログ村

大類34, 35, 36号墳 毛呂山町大類

大類古墳群の探索の続き。 34号墳(円墳、径14.1m) 35号墳(円墳、径12.5m) 36号墳(円墳、径11.4m) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほんブログ村

大類28, 29, 30, 31, 32, 33号墳 毛呂山町大類

大類古墳群の探索の続き。 28号墳(円墳、径13.8m) 31号墳(円墳、径16m) 大類31号墳出土の円筒埴輪が毛呂山町歴史民俗資料館に展示されていた。 30号墳(円墳、径12.8m) 32号墳(円墳、径13.2m) 29号墳(円墳、径12.4m) 33号墳(円墳、径16.7m) 文献 [1] 埼玉県教…

大類19, 20, 21, 22, 23号墳 毛呂山町大類

大類古墳群の探索の続き。十社神社の社殿裏を探索。 22号墳(円墳、径13.6m) 20号墳(円墳、径12.7m) 19号墳(円墳、径11.6m) 21号墳(円墳、径11.8m) 23号墳(円墳、径11.8m) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「…

大類24, 25, 26, 27号墳 毛呂山町大類

大類古墳群の探索の続き。 26号墳(円墳、径14.4m) 十社神社 27号墳(円墳、径14.8m) 25号墳(円墳、径22.2m) 24号墳(円墳、径17.9m、周堀確認) 苦林野合戦と伝承/毛呂山町 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「…

大類13, 14, 15, 16, 17号墳 毛呂山町川角

大類古墳群の探索の続き。 13号墳(円墳、14.5m) 14号墳(円墳、12.6m) 15号墳(円墳、16m) 16号墳(円墳、径9m) 17号墳(円墳、径22.5m) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版…

大類3, 4, 5号墳 毛呂山町川角

大類2号墳の南の十社神社の周囲に分布する大類古墳群を探索。 3号墳(円墳、径13.4m)、鉄鏃が出土 4号墳(円墳、16.5m)? 5号墳(円墳、16.2m) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さき…

大類2号墳 毛呂山町川角

大類1号墳(苦林古墳)から西120mにある大類2号墳は、全長25mの前方後円墳。1990年に埼玉県内所在古墳詳細分布調査に伴い発掘調査が行われた。東西に長い墳丘に対して、墳丘東端で南方向に第1トレンチ、南側くびれ部に第2トレンチ、北側に第3トレンチを設定、…

大類1号墳(苦林古墳) 毛呂山町川角

坂戸市と毛呂山町にまたがる苦林(にがばやし)古墳群。坂戸市では塚原古墳群として、毛呂山町では大類(おおるい)古墳群とする。両古墳群で5基の前方後円墳を擁し埼玉県内では埼玉(さきたま)古墳群を除くと他に例がない。 大類1号墳、別名、苦林古墳は全長23.8…

川角古墳群(8, 9, 10, 11号墳) 毛呂山町川角

川角1号墳から西側の川角古墳群の探索の続き。 文献[3]より 8号墳(円墳、径9m)、横穴式石室 9号墳(円墳、径11m) 10号墳(円墳、径10m) 11号墳(円墳、径9.5m) 馬頭観世音菩薩 13号墳は見つからず。これで川角古墳群の探索は完了。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1…

川角古墳群(5, 6, 7号墳) 毛呂山町川角

川角1号墳から西側の川角古墳群の探索の続き。 文献[3]より5号墳(円墳、径12m) 6号墳(円墳、径15m)、1965年に城西大学が発掘調査し「吹上古墳」と命名。横穴式石室、葺石、周溝を確認。昨年、城西大学水田美術館で開催された企画展「城西考古」を紹介するサ…

川角古墳群(2, 3, 4号墳ともう1基) 毛呂山町川角

川角1号墳からさらに西側の川角古墳群を探索。 2号墳(円墳、径19m) 2号墳の南の新発見の古墳 3号墳(円墳、径13m) 4号墳(円墳、径11m) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出…

延慶の板碑と川角1号墳 毛呂山町川角

道路を渡って、延慶の板碑 川角1号墳(円墳、径16m) 崇徳寺跡と延慶の板碑/毛呂山町 苦林野歴史散歩/毛呂山町 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 [3] 毛呂山町教育…

川角古墳群(14, 16, 17, 22号墳) 毛呂山町川角

さらに鎌倉街道の西側の川角古墳群を探索。 22号墳(円墳、径11m)、横穴式石室(破壊) 14号墳(円墳、径14m) 16号墳(円墳、径9m) 17号墳(円墳、径7m) 埼玉医科大学川角キャンパス前の通りから、14号墳(左)と16号墳(右) 1960年に町道拡幅工事のため15号墳が発掘…