登呂遺跡は弥生時代後期の遺跡。第二次世界大戦中の1943年に、静岡市登呂の水田地帯で軍需工場の建設工事中に水田の下1mの採土から多くの木製品が出土し、さらに水田跡と考えられる杭列も発見され、学術的発掘調査が行われた。第1次調査は、軍事的制約下で、遺跡の一部分のみの発掘調査にとどまった。1947年に八幡一郎氏(東京大学)が中心となり、後藤守一氏(明治大学)の提言で静岡市登呂遺跡調査会が発足。日本で初めて各学問が連携した総合的、学際的研究が行われた。1950年まで2次から5次にわたる調査と1965年の東名高速道路建設のために第6次調査で、大型の掘立柱建物(祭殿) や集落を区画する溝、水田の小区画の存在など、多くの新発見が確認された。
日本平からの富士山の眺め
静岡市立登呂博物館 | 弥生時代の農耕集落である登呂遺跡の出土品を展示
静岡大学の学生のみなさんが、復元した鍬(くわ)を使って田んぼを耕す実験をしていたよ。鍬は、登呂遺跡から出土した木の鍬をモデルに作ったんだって。すごいよね。みんな、暑い中お疲れさまでした。 pic.twitter.com/DlDscoCx5X
— 静岡市立登呂博物館【トロベーのひとりごと】 (@torohaku_torobe) 2022年6月3日